【日時】平成26年・4月30日(水) |
全国的な潮流はここ川越にも訪れていた。昭和30年代後半から始まった高度経済成長、モータリゼーション、生活様式の欧米化に伴い、商業形態も変化し、大量の製品を明るく展示・販売するには、蔵造りなど町家の店内は暗く、不便なことから取り壊しが相次いだ。残ったものも、近代化という名のもとに、古くさい店舗とみなされ、鉢巻状の看板で軒を隠し、柱や壁を取りはらい、無理やり開放形状に改装されていった。さらに、郊外部での振興住宅の増加等による、鉄道利用中心の人の動きは、商業重心の川越駅・本川越駅周辺への南下をもたらせた。既に求心力を失った街からは、駅周辺へ移転する店舗も多く、蔵造りの町並みは次第に時代から取り残されるようになった。これに対し、専門家による問題提起を受け、それに呼応する市民により、昭和40年代から始まった町並み保存運動は、昭和46年の「大沢家」の重要文化財指定、蔵造りの取り壊し反対運動から、市が旧小山家住宅を購入(昭和47年)するという成果に象徴される伝統的建造物の保存というかたちで、町並みの評価を明らかにした。(旧小山家は昭和52年から「蔵造り資料館」となる。)その後、建築学会主催の街区保存計画の提案コンペや川越青年会議所主催の意識アンケート・シンポジウム等を交えた景観保存運動報告などを経て、昭和50年の伝統的建造物群保存対策調査以降の文化財サイドの取り組みへと引き継がれることとなり、この時点では保存=凍結的イメージの高い伝建地区指定は見送られた。しかし、この調査を受けて、昭和56年に蔵造り商家16棟の市文化財指定(現在は22棟)という形で、修理費の半額助成の措置とともに、一応の成果を得た。一方、時期を前後して近傍にマンション計画が持ち上がり、町並みを含めた反対運動により撤退するものがある一方で、町並み背後にそびえる高層マンションが現実のものとなった。このことが、町並み保存への警鐘となり、歴史的環境の保全と既定都市計画(商業地域、準防火地域、400/80、都市計画道路幅20m)とのギャップも顕在化した。駅周辺の商業施設の移動に伴う商店街の地位凋落は、店舗需要を降下させ、代わりに地価が比較的低く、高容積を稼げるマンションには格好のターゲットとなった。昭和50年代半ば、市は都市計画、経済部局も、景観誘導の基になるデザインコードや商業振興策の調査を実施し、対応策の検討をはじめた。昭和58年に、地元有志、青年会議所OB、専門家、学識者等で結成された「川越蔵の会」の活動とそれに触発され、昭和60年に「コミュニティ・マート構想」モデル事業の調査を実施した。「一番街商店街」の活動のベースには、常に商業力の活性化と健全化に伴う町並み保存と、職住一体を可能にする生活空間の質的向上が目標として掲げられた。これは、商売がうまくいかなければ、あるいは生活を犠牲にしてまで蔵造りを残せないということであり、ともすると保存と観光化のみが優先しがちな風潮へのアンチテーゼとして、その後のまちづくりをリードしていった。こうしたなかで川越の特徴である住民が主体的にまちづくりをすすめるきっかけとなったのは、「町並み委員会」の設立であり、その成果が「町づくり規範」である。国のモデル事業を受けるにあたり、通常であれば、町並み整備に計量的な基準(例えば高さ何m、壁面後退何m等)をもって建築協定をつくり、行政側のチェックに委ね、改装を行うという方法が一般的である。しかし、一番街ではそれを行わず、街のなかに委員会を設け、そこで、規制ではなく、住まうための原則という形で、各々の創意工夫を促すための規範をつくりあげてきた。個々の行為については、行政手続の前に委員会のなかで助言指導を行うという、ユニークな方式が生み出された。また、未だ実現には至っていないが、まちの行為を直接企画運営していく「まちづくり会社」の発想も根底にはある。このことは広く欧米諸国の都市開発で行われているニューアーバニズム開発手法や開発地経営会社HOA(ホームオーナーズアソシエイション)、ソフトであるCC&R’sのルール規範に共通点があると思われる。川越の町並みを考えるとき、蔵造りをはじめとする伝統的建造物の保存は当然のことだが、住環境の点からも、高密な商業地のなかにあって、中庭型の建物配置が都市住宅としての最大限の日照・通風等を保証しあっている町家構成の智恵に注目したい。表通りに面した家並みが連続する賑わいの商空間と、家並の背後に閉じられた、中庭を囲む静けさの住空間が相互に展開され、それが道路から一定の間隔で、かつ独立した棟の構成で建てられる。また、一見統一的に見える町並みは、屋根勾配と1階の軒高さを除いては、決して統一されているわけではない。かといって逸脱することもない心地よいバラつき感のなかで、一定のフォルムをもって存在し、固有のディテールやデザインを競い合っている。一番街商店街では、昭和62年、自主的なまちづくりの推進を図るため、地区の役員と専門家、オブザーバーとして市の関係セクションと商工会議所などから構成する「町並み委員会」を設立した。委員会により検討された「町づくり規範」(昭和63年制定)はこうした町家の特性である構成要素や住環境への配慮、といった敷地内のミクロゾーニングをもとに、地域の都市計画的観点を入れ、建築形態、デザイン要素、さらに店舗づくりなど67項目に及んでいる。平成元年から実践に入った個店改装事業は、低利の融資や埼玉県と川越市からのファサード修景補助となる「観光市街地形成事業」(平成元年~5年)等の導入により、町並み委員会の指導のもと、年間数件単位の改装実績を積み上げた。地域主導の景観指導には自ずと限界もあり、専門家や市側が実質的なデザイン調整を引き受ける場面が多いのも事実である。しかし、住民相互に主体者であると同時に自己の経験を活かしたアドバイザーともなり得る点で、行政指導にない説得力を持つことができる。実際の成果として、初期の修理改装に好事例を提供した、蔵の会内部の商店主と設計者の組み合わせがあげられる。蔵の会の研究会には自身の問題意識やポリシーを語る商店主と、町並みファンとして町家建築の保存活用の有効性をうったえる建築家、研究者達が同席し、交流の場として機能していた。これが後に信頼関係を築き、パートナーとして店舗改装に効果を発揮した。また、建築側の改装にあわせて、店の業態についても、そのコンセプトをがらりと変化させたことも大きな成果となる。蔵造りをはじめとする伝統的建造物を古いものとは考えず、その存在感を活かした現代的な店舗として再生されたものが多い。平成元年から川越市が整備した通称「歴路事業」は、石畳のペーブメントにより一番街周辺の横丁や門前通りをネットし、街に奥行感や界隈を形成する舞台設定として効果を与えている。また、平成4年に完了した電線地中化事業は、蔵造りのフォルムを、より鮮明に印象づけ、来訪者と世間の注目を集めるところとなった。しかし、一方で、商店街という限定された取り組みであり、また法的根拠を持たない協定であることから、この間も建て替えや取り壊しで伝統的建造物は失われ、高層マンションの計画は次々に持ち上がるなど、町並み保存に対する歯止めとまではならず、新たな危機感も高まっていた。平成7年に、これまでの商店街中心の動きとは別に、かつての城下町エリアにあたる自治会の検討組織として「十ヶ町会」が発足し、改めて広域の景観問題や伝建地区の検討が始まった。昭和40年代の保存提案に始まり、50年代のマンション問題や商業振興の課題を受けて昭和60年から街が取り組んだ商業近代化と町並み保存、市が取り組んだ歴史的地区の環境形成と景観形成は、その後平成に入り、都市景観条例施行(平成元年)を契機に、街と市の具体的な事業として実践へ移行した。平成4年の電線地中化は町並み整備の大きな後押しとなり、10年間で50件を超える大小の改装事業が行われた。これら商店街の動きに対して、今度は自治会が中心となった取り組みのなかから、町並み保存の集大成ともいうべき伝建地区の指定が平成11年になされた。全国で54番目の重要伝統的建造物群保存地区として国の選定を受け、蔵造りの町並みを中心とした周囲7.8haのエリアで、現在は住宅等も交えた新たな改装の動機づけにもなっている。町並みの基盤となる町割りは1,600年代中期に川越藩主松平信綱によって行われ、現在もなお川越の都市基盤として在りつづけている。城下町の構造が現行の都市計画に沿わないことは事実としても、当時から火除けとなる10mクラスの道路や西・北に寺院を配置し、防御と避難を併せ持つ防災的都市整備を含め、そこで達成されてきた都市環境上の成果は、多いに尊重されるべきである。
取材:HICPM住宅生産性研究会正会員 ㈱アップル 大竹 清彦
【川越商工会議所が起点の大正浪漫通り】仲町から菓子屋横丁、幸町へ
取材:HICPM住宅生産性研究会正会員 ㈱アップル 大竹 清彦
【エコロジーの先端、捨てない文化を取り戻す・ビンテージリフォーム】
建築基準法で規定されている現在の【在来工法】は柱や桁梁の接合部に金具補強して、面材や筋交いなどの耐力壁で地震等に抵抗します。これに対し古民家などの【伝統的工法】では、柱や桁梁の接合部は木組みのみで金具の補強はありません。代わりに【伝統的工法】では土塗り壁、竹小舞、差し鴨居、貫などが主要な耐力要素となります。【伝統工法】では土台を使わず1階の柱を直接礎石に立てる【石場建て仕様】が用いられることがあります。特に西日本以西では夏場の床下通気やシロアリ対策から【石場建て仕様】が採用された民家が少なくありません。 【限界耐力計算】という方法で確認申請の適合判定が通れば、こうした【伝統木造軸組み住宅】も新築できる。しかし、この申請・審査には大変な手間がかかり、その結果、現在新築の実績は年間数棟にすぎないのが実情です。 わたしたちは、この【伝統的工法】で使わてきた柱や梁といった構造材の再構築としてリユースする道筋をつけ、消えゆく貴重な資源をリモデリングというで使い継いでまいります。 古いという理由だけで何もせずただ壊して捨てたらゴミになるだけ。しかし、リモデリングで再使用したらあと何年再活用できるでしょうか。 ビンテージ・リフォームは【伝統的工法で使われてきた古材】を大切に、そのままの形で出来るだけ長く使い、捨てない文化を取り戻す究極のエコロジカルなコンセプト・リフォームです。
【古材を活用した弊社アップルのリモデリング例】
―栃木・旧藤岡町/F邸・230年前の土蔵解体(2011年) ⇒下野市/H邸・古材梁を再活用したマンション・リモデルへ(2012年)―
―マンションのキッチン・リモデリング― 16年のマンションの全面改修の一部 薄暗く、開放感のない元の対面型キッチンをリ・モデリング キッチン台は造作中心のオリジナル 床暖房+LDKは明るく開放的なキッチンに家族が集うようになりました |
【Before】 【施工中】 キッチン台を組み、古材も取付け、LD側のカウンターもインストールして周辺を造作 仕上げ:弊社インテリアコーディネーターが詳細を現場で指示 古材に合わせて周りの造作家具なども自然塗料リボス+京都山中油店の鉱物顔料で着色 左官:カウンター天板、袖壁 天板の左官:クリスタルインレイ使用、蜜蝋で撥水加工 袖壁の左官:スイス漆喰、カルクウォール、エイジング加工 【After】 |
―福島・田島町/I邸・古民家解体(2004年) ⇒下野市/T邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2009年)―
【古材を活用したリモデリング例】
―栃木・藤岡町/A邸・古民家解体(2007年) ⇒小山市/S邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2008年)―
静かな農村地帯に昔懐かしい風情を残す「青木邸」は江戸時代には、この土地で栄えていた大規模な農家。現在、旧道沿いに立つこの家の母屋は約100年前のもの。昔は街道の両脇に茅葺屋根の家々が立ち並ぶ日本の原風景を残す土地でもあった。最近はテレビの番組でも多く登場するようになった古民家とはいえ、子供の頃には「暗くて寒くて怖い」場所と思い育ったそうです。お母さんとの2世帯住宅を建てる決意をされたものの、祖先が使い残してくれたこの母屋をただ解体することに寂しさを感じていらした青木さんご夫婦。「まだ、使えるものなら是非、再生に活用て使い続けて下さい」と。まさに「200年住宅」の真髄ではないでしょうか?昔から、捨てずに大切に使い続けてきた構造材。本来、日本では当たり前に行われてきた建築文化です。もちろん、何もせず、200年耐用できるものなど何処にもありません。定期的に修理修繕し、次代を越え愛着を持ちながらメンテナンスし熟成されてきたのです。大切に使い住み続ける社会の実現。これこそがわたしたちの目指す「200年住宅」の意味するところではないでしょうか?青木さん、わたしたちアップルで古材として立派にリモデリングで大切に活用させていただきます。
Before(青木邸)
当時の貫工法(在来工法の原型)や竹小舞の土壁。地場の欅と松の曲がり梁が素晴らしい。
After(再生リモデル完成しました)
増改築前(外観) (和室) (廊下) 改装中:古材をクレーンで搬入
改装中:青木さんの地松の古材梁を2本活用、ドイツ・リボス自然素材塗料で綺麗に蘇る。
改築後(廊下)杉の古材柱を廊下でも活用、手洗いをしつらえ、トイレも増設。内装はスイス本漆喰左官&ドイツ・ウッドチップクロス張り
改築後(寝室)
改築後(和室:1) 内装:ドイツ・ウッドチップクロス (和室:2)内装:愛知・桃山土壁(弁柄壁)
【その他、古材を活用したリモデリング例】 Before⇒After
よくある普通の和室 「古材の柱」で作った「自在ガキ」をぶら下げ、囲炉裏風の設えに。
「古材梁」を4本使っています。
古民家を見て、その素晴らしさに感動する人は多い。その佇まいはわたしたちの五感に訴えるものは非常に多いが、本当の素晴らしさと意味するところは、自然のシステムが無駄なく利用されている先人たちの知恵に気づく点です。民家に蓄積された仕掛け、例えば風を防ぐ工夫、逆に風を導く工夫、高湿から室内を守る工夫、暗さを補う天窓の工夫といった仕掛けは、わたしたちのスローライフな暮らし方を見直すことを教えてくれます。これは過去への回帰を意味するのでなく、未来の住宅のために、伝統技術を見直し、継承し、新しい知恵を加えるということにつながって行きます。 民家の様々な歴史、文化的な背景を知ることは、ものの真の価値を知ることも出来ます。 裏付けのある知識を持つことで「先人たちの知恵」のルーツを知ることが出来ます。 例えば、家族団らんの食事は囲炉裏を囲んで・・・と思われていますが実は、『囲炉裏』は養蚕のための暖房であり、生活に余裕はなく、封建的なスタイルで食事は各自お膳で取っていた・・・。 しかし、現在はそのような封建的な風習はありませんから、『囲炉裏』は家族で仲良くみんで囲めばいい。 このように、民家を知ることは、わたしたちの先人たちの、地域にあった住まい方を正しく知り、その知恵を活用し、さらに長い年月をかけ熟成させていくものではないでしょうか。
江戸時代から、木材を再利用するのは当り前の時代でした。これがいつしか捨てる文化に変わってしまった。究極のエコロジーは、そのままの形で出来るだけ長く使うこと。ビンテージリフォームは、そんな私達の考えが詰まったコンセプト・リフォームです!リフォームアップルで強力に推進中!
古材を多用するビンテージリフォームは、高い志と古来の伝統工法の豊富な見識を習得した古材施工技術士に是非一度ご相談下さい。
日本民家再生リサイクル協会正会員 ㈱アップル・リフォームアップル自治医大店 大竹喜世彦
【茅葺屋根の古民家】
八郷町には60余棟の『茅葺の里』があります。毎年年末に、八郷町の地元の【茅葺屋根保存会】の方々と、とわたしたち【民家再生リサイクル協会】茅刈り隊】、筑波大学生らのボランティアを含むメンバー(200名近く)は【つくば学園都市】にある高分子研究センターでヨシ刈りを行なっています。八郷の茅葺屋根の葺替えに使うための【ヨシ刈り】です。
そして、毎年この4月初旬に、民家再生リサイクル協会では、八郷町、地元【茅葺屋根保存会】の方々と、茅葺古民家で交流会を行い、早春の一日を美しい里山と日本の原風景が残る茅葺集落で過ごしております。戦後のヨーロッパでも、日本と同じように茅葺屋根は激減しましたが、現在は高級住宅地などのステータスシンボルとして使われ人気が高いそうです。・・・
さて、日本の茅葺について。かつての日本の茅葺文化は農村生活と深く結びつき社会活動とのかかわりが欠かせませんでした。筑波一帯は、江戸城の鬼門を守る門前町として栄え、特に筑波山麓では江戸末期からは専門職として【茅葺職人】が成り立ち、地方ごとに特異な形の技術が発達しながら、地域社会と強い関わりを持ってきました。村人は【ユイ・結】を組織し、茅葺を手伝い、古くなった屋根の改修で出た【古茅】は大切にリサイクルしまた、重要な肥料として農地にも還元され、その【マテリアル】自体も自己完結型で地域循環していました。
【古民家再生の環境的側面】
日本の産業廃棄物のうち約20%を建設廃棄物が占め、民生部門のエネルギーのうち約45%を住宅が占めると言われる。社会全体の環境負荷の低減を図るには、この住宅建築をいかに環境配慮型に変えていくかが重要な課題です。住宅建材のリサイクル率向上や生活エネルギー使用量減少はどうすれば可能なのか?わたしたちは伝統的な素材、工法に、関わる最先端の知識に触れ、エコロジカルな視点からも民家再生に注力しています。
毎年建っている戸建住宅は約数十万戸で、最新の技術、性能を持ちます。しかし、立て替えればで、産業廃棄物と大量のゴミを発生させます。そして、もうすでに建ってしまっている既存住宅1500万戸はどうすればいいのでしょうか?わたしたちはリモデル、リフォーム(欧米ではリフォームというと歯の矯正の意味も含まれ、一般的にはリモデリング、ホームインプルーブメントと言われています。)を通じて、ゴミ問題も含むエネルギーなどの環境負荷低減をはかってまいります。とりわけ大きな機械装置(製造エネルギーが多大で廃棄時にリサイクルできないものを主に言います)の導入でアクティブな「省エネ」を図る方法よりも、より自然エネルギーをそのままの形で活用するパッシブな「省エネ」デザイン、設計を心がけていこうと考えます。
『ふるさと』というところは、我慢や不自由の多いところですが、その中で人は一生懸命に美的な誇りを探し美しく幸福に生きようとしています。その力こそ今の時代に必要だと『八郷』は、私達に教えようとしています。『町守り』は『町興し』に名を借りた開発行為とは異質のものでしょう。
『町守り』とは文化をその地で、地道に頑なに守り続けること。そこでは、簡単には壊さず大切に長く使う知恵が凝縮されています。作っては壊す、日本の現状の見直しは急務でしょう。
NPO日本民家再生リサイクル協会正会員(株)アップル 大竹喜世彦
===大切なものを壊さず、使い継ぎ再生させる。福島県会津から古材を入荷しました。=== |
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