【日時】平成26年・5月16日(金)~18日(日) |
わたしは物心がついた頃に、生前の父から中国の大連、旅順について、というよりも「二百三高地」の日本軍の話を何度か聞かされた記憶がある。現在の日中関係のことは別にして、日本の近代化と植民地時代とで密接な関係のあった大連に出かける機会を得た。日本の植民地時代の西洋建築、旧日本人街などが大連市内には数多く残されている。大連は人口約600万人の港湾都市で、日本政府が尖閣諸島を国有化して以来、一度も大規模な対日抗議行動が起きていないどころか、街を歩くと餃子の王将や日本語で「やきとり」「つけ麺」など、ひらがな交じりの看板を中国の国旗「五星紅旗」やシートを隠すこともなく、また日本車もほかの都市と違い、中国国旗をつけずに行き交い、2005年の反日デモにおいても中国の大都市の中で大連だけがまったく反日デモが起きなかった。大連市郊外の産業特区では90年代からIT産業育成に力を入れ、西郊の大連高新技術産業園区と大連連軟件園に、華信グループ、海輝グループ、東軟グループなど中国のIT企業の開発拠点に加え、世界のソフトウェア開発・情報サービス関係の企業、日本のNEC、パナソニック、ソニー、CSK、オムロンなどが進出し、日系企業に勤めている中国人も多く、日本語を学習している人も20万人と他都市に比較して群を抜いて割合が高い。また中国都市で唯一の日本語TV放送もある。なぜ大連市民は親日的なのか本当の理由はその歴史にあるといえる。大連は中国大陸において最も古くから実質的な日本統治が施されてきた地域であり、日露戦争後ロシアに代わり日本が中国大陸で統治し始めた初めての都市が大連である。日本はここに満州鉄道の本社を置き、大和ホテルを作り、上下水道・電気などの立派な都市インフラ整備に努め、現在も大連駅(上野駅と似ている)など多くの日本統治時代の建物がそのまま残り活用されている。日本は大連に美しい町並みを残し、また数多くの社会整備と殖産を行った。大連も含め遼寧省など東北三省(旧満州地域)は他の地域に比べて多く、日本に統治されていたにもかかわらず親日的である点で、大連の人々は台湾の人々の対日感情に近く、また他地域に比べ、中国を支配している漢民族に対して満州族の割合が高いことも、本省人(台湾人)と外省人(漢民族)が混在している台湾に似ていて興味深い都市と言える。秦の時代にはここに遼東軍が置かれ、満州方面の前線となっていた。勢力を伸ばしてきた高句麗の支配下になったこともあるが、都市としての大連の歴史は1898年に始まる。この地域は1895年、日清戦争における清の時代に日本が清から統治権を得た場所であったが、ロシア、フランス、ドイツの三国干渉によりすぐ清に返還した。ロシアはウラジオストックが凍港であり、不凍港を確保するためにこの地に目をつけていたが、それまでロシア軍艦は冬の間長崎を利用していた。ロシアに賛成したフランスは露仏同盟の関係、ドイツは新内閣が成立し、それまでの関係が悪かったロシアとの関係修復をはかることが目的であった。一方、大連の隣接都市で軍港として優れた自然要塞を持つ、旅順には清国の北洋艦隊の拠点があったが、大連は、青泥窪とよばれる漁村であった。しかし、旅順より大きな湾があることに注目したロシアは1891年ここに商業の拠点を築き、「遠方」という意味で大連を「ダリーニ」と名付けた。大連の都市構造の基本はロシアによって作られたが、ロシアはシベリア鉄道をウラジオストックへ敷設する工事を開始し、「T」字形に満州の鉄道網ができあがり、朝鮮半島の両つけ根にあたるウラジオストックと大連が連結され、1903年にはシベリア鉄道がヨーロッパとつながった。また、1902年には大連港の北埠頭も完成し、ヨーロッパや日本からの貿易が盛んになってきた。日露戦争が始まると、1904年には大連はわずか3ヶ月で日本軍に占領され、日本にとって大連は大陸での補給基地となり、また日本が接した初めての近代都市でもあった。旅順での戦闘が終了した1905年、日本人が渡航し始め、ポーツマス条約でロシアの租借地は日本に譲渡され、「関東州」と名付けられ、隣の旅順に関東都督府がおかれた。長春から南の東清鉄道も割譲され、南満州鉄道となり、ダリーニは大連と改名された。ロシアの都市計画を受け継ぎ、都市建設が続いたが、耐火建築しか認められなかった。そのため煉瓦による洋風建築が一気に増加した。現在も大連中心街には旧ロシア人街と、旧日本人街がその姿を残していた。旧ロシア人街は土産屋などの観光施設や商業地化にされているが、一方の旧日本人街は、終戦後日本人が離れた後も、中国人の富裕層が移り住むことで住宅地の衰退を免れてきたといえる。大半が取り壊されつつあるものの、近年までそのその佇まいは、ほぼそのままの姿で残され、現在は若い世代により住居をカフェなどにリノベーションされており、わたしたちは当地で復興が図られているその様を視察できた。また、中心街にはかつての旧大連市役所のように、和風建築の意匠を取り入れた建築物が数多く残されている。大連駅や旧満鉄大連病院(中山医院)のように時代の先端を行く近代建物のように、西洋建築を学んだ当時の若き日本人建築家による近代建築が数多く建設された。当時の日本人住宅は比較的規模の大きなものが多く建てられ、大連で育った日本人の中には、戦後、帰還した際に、本国の住居の狭小さに驚いたという話が伝えられている。関東州は清国・中華民国からの租借地で、あくまでも清国・中華民国領である。そのため、法制度なども他の植民地と異なるものであった。植民地下に置かれた人々は支配される国の国民となるが、租借地・関東州に住む中国人はあくまでも中国国民であった。関東州の地位は1932年の満州帝国の成立でも変わらなかった。1945年、日本の敗戦とともに満州国は瓦解され、ソ連軍は国境から南進を始めた。満州鉄道は中ソ合弁の中国長春鉄道公司の管理とされたが、事実上はソ連軍に接収された。大連もソ連に接収され、ソ連軍が再び駐留した。その後、1955年に中ソ友好同盟条約締結によってソ連の管理は完全に終わり、1982年に市名が大連市となる。1980年代に中国は改革開放路線をとり、1984年に経済技術開発特区に指定され、経済的に発展した「大連」は現在、中国第3の港湾都市である。また、もともとリンゴの産地で、農村部が比較的豊かであったため、「万元戸」(億万長者)が最初に現れたのも大連近郊からであった。
取材:HICPM住宅生産性研究会正会員 ㈱アップル 大竹 清彦
【昭和初期の旧・日本人街】と【再開発・南山1910】
成田(左)と大連(右)の上空から比較すると、住宅地と農地がバラバラ 一方の大連は、高層住宅地、工業地帯、農地が都市計画されている
大連上空
大連国際空港の至近距離にある集合住宅、その先に高層住宅街が見える
新幹線が見えた 大連国際空港から高速で東に30分ほど、金州区の工場地帯にある建材会社2社を視察 1件目は床材、集成材工場
3層フロア
樺の集成材(階段材)
木材から用材(2x4)の加工工場の見学
2x4材の強度試験 曲げムーメント試験
用材の含水率測定
大連中心街 大連銀行
大連駅前
旧・ロシア人街
大連(旧・大和ホテル)
大和ホテル2階にある、ラストエンペラー愛新覚羅 溥儀の宿泊した部屋
中山広場 文明開化後の明治の時代、日露戦争で勝利した日本の若き建築家達は新天地で西洋建築に取り組んだ
大連タワー
旅順に向かう途中の開発地 旅順は第2次世界大戦後、ロシアの駐留により近年まで外資がほとんど入っていない美しい都市である
日露戦争の激戦の末、奪還した203高地からの関東軍の砲撃でロシア艦隊が壊滅した旅順港
廃線となった満州鉄道の旅順駅は今も残る
旅順博物館
日露戦争の激戦地「203高地」へ
203高地・山頂の砲台跡地より「旅順港」を臨む
203高地の砲台から見た旅順港、ここから烈火のごとく砲弾が飛んだ 乃木将軍の二男の殉死跡に碑が残されている
関東軍、ロシア軍が旅順没落後の会見所も旅順市内から離れた北東部残る
旅順の少し前の高層住宅には、パッシブソーラー利用の太陽熱温水器の設置が義務付けられている 大連西部に90年代に創設されたIT開発地区
大連のベイショア「星海地区」に広がる高層高級マンション群
中国全土の各都市で広がる、バブル崩壊による資金不足で建設中止となっている「鬼城・タイチャン」問題は免れているという
星海公園周辺の繁華街
大連駅の夕方と朝の模様
南山・旧日本人街
近年、徐々に解体せれ建替えられている旧・日本人街の街区 住民は中国人の富裕層
坂を下った旧・日本人街には、改修が繰り返されながら残されたかつての「日干し煉瓦」の住宅街も存在する
若いパワーで店舗に改修され、カフェとして蘇った旧・日本人街の住宅
古く老朽化した日本人街の中にあって、近代的な住宅に建て替えられた家も随所に見られた
かつての日本人街の住宅は、日干し煉瓦を積み、補強として外壁にモルタルを塗り込めた住宅であった
旧・日本人街の面影を残しつつも建て替えが進む戸建住宅街 何処となく現在の日本の住宅地を彷彿させている向かい合った住宅の路地
視察に出かけたこの日は、日曜日の朝市で大いに賑わっていた 路地で散髪する人もいれば、あらゆる食材を買う人たちでいっぱいだ
旧・日本人街の時代からずっとここにあった憩いの湖
今回の視察で随所で見られた「真空管式・太陽熱集熱温水器」 旧・日本人街は基本的に戸建て中心であるが、このようなアパートも建てられていた
大連・旅順共に中古サッシの路地販売が随所で見られた
店舗に改修中の戸建住宅
目抜きの大通りである南山路・桂林街の界隈は、2004年から開発が始まった旧・日本人街【再開発地区】である
再開発地区に建つかなり大きな規模のマルチファミリー(戸建)住宅は、入口に門番の付き塀で囲まれた「ゲーテッドコミュニティ」である
建築様式は基本的に「ビクトリアン様式」が多いが、「クイーン・アン様式」「フレンチ・ルーラル様式」も点在している
再開発地のネーミングに旧・日本人街の繁栄していた1910年代にちなんだ「南山1910」が付けられていることに感動した
高級住宅地である再開発地区は、門徒塀で囲まれ警備された「ゲーテッドコミュニティ」である
煉瓦造のゲートの袖壁に掲げられた住宅地表示のレリーフには【南山1910】
「フェデラル様式」
「チューダー様式」
取材:HICPM住宅生産性研究会正会員 ㈱アップル 大竹 清彦
【エコロジーの先端、捨てない文化を取り戻す・ビンテージリフォーム】
建築基準法で規定されている現在の【在来工法】は柱や桁梁の接合部に金具補強して、面材や筋交いなどの耐力壁で地震等に抵抗します。これに対し古民家などの【伝統的工法】では、柱や桁梁の接合部は木組みのみで金具の補強はありません。代わりに【伝統的工法】では土塗り壁、竹小舞、差し鴨居、貫などが主要な耐力要素となります。【伝統工法】では土台を使わず1階の柱を直接礎石に立てる【石場建て仕様】が用いられることがあります。特に西日本以西では夏場の床下通気やシロアリ対策から【石場建て仕様】が採用された民家が少なくありません。 【限界耐力計算】という方法で確認申請の適合判定が通れば、こうした【伝統木造軸組み住宅】も新築できる。しかし、この申請・審査には大変な手間がかかり、その結果、現在新築の実績は年間数棟にすぎないのが実情です。 わたしたちは、この【伝統的工法】で使わてきた柱や梁といった構造材の再構築としてリユースする道筋をつけ、消えゆく貴重な資源をリモデリングというで使い継いでまいります。 古いという理由だけで何もせずただ壊して捨てたらゴミになるだけ。しかし、リモデリングで再使用したらあと何年再活用できるでしょうか。 ビンテージ・リフォームは【伝統的工法で使われてきた古材】を大切に、そのままの形で出来るだけ長く使い、捨てない文化を取り戻す究極のエコロジカルなコンセプト・リフォームです。
【古材を活用した弊社アップルのリモデリング例】
―栃木・旧藤岡町/F邸・230年前の土蔵解体(2011年) ⇒下野市/H邸・古材梁を再活用したマンション・リモデルへ(2012年)―
―マンションのキッチン・リモデリング― 16年のマンションの全面改修の一部 薄暗く、開放感のない元の対面型キッチンをリ・モデリング キッチン台は造作中心のオリジナル 床暖房+LDKは明るく開放的なキッチンに家族が集うようになりました |
【Before】 【施工中】 キッチン台を組み、古材も取付け、LD側のカウンターもインストールして周辺を造作 仕上げ:弊社インテリアコーディネーターが詳細を現場で指示 古材に合わせて周りの造作家具なども自然塗料リボス+京都山中油店の鉱物顔料で着色 左官:カウンター天板、袖壁 天板の左官:クリスタルインレイ使用、蜜蝋で撥水加工 袖壁の左官:スイス漆喰、カルクウォール、エイジング加工 【After】 |
―福島・田島町/I邸・古民家解体(2004年) ⇒下野市/T邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2009年)―
【古材を活用したリモデリング例】
―栃木・藤岡町/A邸・古民家解体(2007年) ⇒小山市/S邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2008年)―
静かな農村地帯に昔懐かしい風情を残す「青木邸」は江戸時代には、この土地で栄えていた大規模な農家。現在、旧道沿いに立つこの家の母屋は約100年前のもの。昔は街道の両脇に茅葺屋根の家々が立ち並ぶ日本の原風景を残す土地でもあった。最近はテレビの番組でも多く登場するようになった古民家とはいえ、子供の頃には「暗くて寒くて怖い」場所と思い育ったそうです。お母さんとの2世帯住宅を建てる決意をされたものの、祖先が使い残してくれたこの母屋をただ解体することに寂しさを感じていらした青木さんご夫婦。「まだ、使えるものなら是非、再生に活用て使い続けて下さい」と。まさに「200年住宅」の真髄ではないでしょうか?昔から、捨てずに大切に使い続けてきた構造材。本来、日本では当たり前に行われてきた建築文化です。もちろん、何もせず、200年耐用できるものなど何処にもありません。定期的に修理修繕し、次代を越え愛着を持ちながらメンテナンスし熟成されてきたのです。大切に使い住み続ける社会の実現。これこそがわたしたちの目指す「200年住宅」の意味するところではないでしょうか?青木さん、わたしたちアップルで古材として立派にリモデリングで大切に活用させていただきます。
Before(青木邸)
当時の貫工法(在来工法の原型)や竹小舞の土壁。地場の欅と松の曲がり梁が素晴らしい。
After(再生リモデル完成しました)
増改築前(外観) (和室) (廊下) 改装中:古材をクレーンで搬入
改装中:青木さんの地松の古材梁を2本活用、ドイツ・リボス自然素材塗料で綺麗に蘇る。
改築後(廊下)杉の古材柱を廊下でも活用、手洗いをしつらえ、トイレも増設。内装はスイス本漆喰左官&ドイツ・ウッドチップクロス張り
改築後(寝室)
改築後(和室:1) 内装:ドイツ・ウッドチップクロス (和室:2)内装:愛知・桃山土壁(弁柄壁)
【その他、古材を活用したリモデリング例】 Before⇒After
よくある普通の和室 「古材の柱」で作った「自在ガキ」をぶら下げ、囲炉裏風の設えに。
「古材梁」を4本使っています。
古民家を見て、その素晴らしさに感動する人は多い。その佇まいはわたしたちの五感に訴えるものは非常に多いが、本当の素晴らしさと意味するところは、自然のシステムが無駄なく利用されている先人たちの知恵に気づく点です。民家に蓄積された仕掛け、例えば風を防ぐ工夫、逆に風を導く工夫、高湿から室内を守る工夫、暗さを補う天窓の工夫といった仕掛けは、わたしたちのスローライフな暮らし方を見直すことを教えてくれます。これは過去への回帰を意味するのでなく、未来の住宅のために、伝統技術を見直し、継承し、新しい知恵を加えるということにつながって行きます。 民家の様々な歴史、文化的な背景を知ることは、ものの真の価値を知ることも出来ます。 裏付けのある知識を持つことで「先人たちの知恵」のルーツを知ることが出来ます。 例えば、家族団らんの食事は囲炉裏を囲んで・・・と思われていますが実は、『囲炉裏』は養蚕のための暖房であり、生活に余裕はなく、封建的なスタイルで食事は各自お膳で取っていた・・・。 しかし、現在はそのような封建的な風習はありませんから、『囲炉裏』は家族で仲良くみんで囲めばいい。 このように、民家を知ることは、わたしたちの先人たちの、地域にあった住まい方を正しく知り、その知恵を活用し、さらに長い年月をかけ熟成させていくものではないでしょうか。
江戸時代から、木材を再利用するのは当り前の時代でした。これがいつしか捨てる文化に変わってしまった。究極のエコロジーは、そのままの形で出来るだけ長く使うこと。ビンテージリフォームは、そんな私達の考えが詰まったコンセプト・リフォームです!リフォームアップルで強力に推進中!
古材を多用するビンテージリフォームは、高い志と古来の伝統工法の豊富な見識を習得した古材施工技術士に是非一度ご相談下さい。
日本民家再生リサイクル協会正会員 ㈱アップル・リフォームアップル自治医大店 大竹喜世彦
【茅葺屋根の古民家】
八郷町には60余棟の『茅葺の里』があります。毎年年末に、八郷町の地元の【茅葺屋根保存会】の方々と、とわたしたち【民家再生リサイクル協会】茅刈り隊】、筑波大学生らのボランティアを含むメンバー(200名近く)は【つくば学園都市】にある高分子研究センターでヨシ刈りを行なっています。八郷の茅葺屋根の葺替えに使うための【ヨシ刈り】です。
そして、毎年この4月初旬に、民家再生リサイクル協会では、八郷町、地元【茅葺屋根保存会】の方々と、茅葺古民家で交流会を行い、早春の一日を美しい里山と日本の原風景が残る茅葺集落で過ごしております。戦後のヨーロッパでも、日本と同じように茅葺屋根は激減しましたが、現在は高級住宅地などのステータスシンボルとして使われ人気が高いそうです。・・・
さて、日本の茅葺について。かつての日本の茅葺文化は農村生活と深く結びつき社会活動とのかかわりが欠かせませんでした。筑波一帯は、江戸城の鬼門を守る門前町として栄え、特に筑波山麓では江戸末期からは専門職として【茅葺職人】が成り立ち、地方ごとに特異な形の技術が発達しながら、地域社会と強い関わりを持ってきました。村人は【ユイ・結】を組織し、茅葺を手伝い、古くなった屋根の改修で出た【古茅】は大切にリサイクルしまた、重要な肥料として農地にも還元され、その【マテリアル】自体も自己完結型で地域循環していました。
【古民家再生の環境的側面】
日本の産業廃棄物のうち約20%を建設廃棄物が占め、民生部門のエネルギーのうち約45%を住宅が占めると言われる。社会全体の環境負荷の低減を図るには、この住宅建築をいかに環境配慮型に変えていくかが重要な課題です。住宅建材のリサイクル率向上や生活エネルギー使用量減少はどうすれば可能なのか?わたしたちは伝統的な素材、工法に、関わる最先端の知識に触れ、エコロジカルな視点からも民家再生に注力しています。
毎年建っている戸建住宅は約数十万戸で、最新の技術、性能を持ちます。しかし、立て替えればで、産業廃棄物と大量のゴミを発生させます。そして、もうすでに建ってしまっている既存住宅1500万戸はどうすればいいのでしょうか?わたしたちはリモデル、リフォーム(欧米ではリフォームというと歯の矯正の意味も含まれ、一般的にはリモデリング、ホームインプルーブメントと言われています。)を通じて、ゴミ問題も含むエネルギーなどの環境負荷低減をはかってまいります。とりわけ大きな機械装置(製造エネルギーが多大で廃棄時にリサイクルできないものを主に言います)の導入でアクティブな「省エネ」を図る方法よりも、より自然エネルギーをそのままの形で活用するパッシブな「省エネ」デザイン、設計を心がけていこうと考えます。
『ふるさと』というところは、我慢や不自由の多いところですが、その中で人は一生懸命に美的な誇りを探し美しく幸福に生きようとしています。その力こそ今の時代に必要だと『八郷』は、私達に教えようとしています。『町守り』は『町興し』に名を借りた開発行為とは異質のものでしょう。
『町守り』とは文化をその地で、地道に頑なに守り続けること。そこでは、簡単には壊さず大切に長く使う知恵が凝縮されています。作っては壊す、日本の現状の見直しは急務でしょう。
NPO日本民家再生リサイクル協会正会員(株)アップル 大竹喜世彦
===大切なものを壊さず、使い継ぎ再生させる。福島県会津から古材を入荷しました。=== |
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