本郷界隈に残る明治・大正期の文豪のまち歴史的建築物を巡る/東京・文京区(Part3)

【日時】平成28年・6月1日(水)
東京・文京区本郷から根津、湯島、台東区池之端を散策し明治・大正・昭和初期の歴史的建造物を巡るPart2に続きPart3は、台東区・一部文京区に建つ旧・岩崎邸についてのレポートです。「建築」はその時代の歴史・文化を今に伝える生き証人といえるでしょう。久しぶりに見学した「旧・岩崎邸」。三菱の創業者・岩崎弥太郎の長男で三菱3代目社長の普段の生活は、この洋館の南側に建つ伝統的な日本家屋でした。この和館は、当時の500坪から減築されています。旧・岩崎邸の敷地は、当時東西に長く、以前調査した際には東側の煉瓦の塀で囲まれた「無縁坂」から西側は湯島天神よりも西側のラブホテル街に近い坂道までの広大なものと判っています。さて、この「旧岩崎邸」の洋館は、先の生活の場であった日本家屋よりも規模は小さいものの別邸・迎賓館として使われていました。三菱創業者・岩崎弥太郎の長男久弥は明治24年に米国ペンシルベニア州・フィラデルフィアのペンシルベニア大学に留学しています。そして帰国後の明治29年に、この旧・岩崎邸洋館を着工しています。そこでわたしはこう考えました。フィラデルフィアはボルティモアなどと並んで英領であった米国の独立戦争(南北戦争)の舞台であり、独立宣言した建国の都市です。映画ロッキーの万歳の舞台、リバティーベル(自由の鐘)には観光客が絶えず、大工組合(カーペンターホール)、石工(メーソンリー)の聖地フリーメイソンの本拠地でその建物も街の中心に建っている新大陸米国人にとって「国家独立」の聖地といえます。フィラデルフィアに行ってみると、都市の中心に全米一の高さを誇るシティーホール(市役所)がありその塔の頂点に「ウイリアムズ・ペン」の銅像が乗っています。ウイリアムズ・ペンは、当時の新大陸(新天地)である米国に英国人でありシビルエンジニアリングの(都市計画技師)として招致された人物です。1600年、1件のパン屋から市内がほぼ全焼したロンドン大火は有名ですが、クリストファ・レンが不燃都市として再生する際にその建築は煉瓦造のルネッサンス建築で行われました。ロンドンは、ルネッサンス様式の不燃都市として再生されています。一定の期間で終了し仕事に溢れかけたときに英国がとった政策が米国という新天地フィラデルフィアの丘陵地での都市計画でした。しかし、そのときに使われたのがルール&アーティクルという建築教書です。この教書があったらこそ職人たちが同じ技術の同じデザインの同じフィラデルフィアの都市計画が英国人エンジニアであるウイリアムズ・ペンによって作られたので「ペン・シルベニア(州)」と言われます。英国人の大工と石工は、絶大な権力を持ち、知事と同格の権威を誇っていましたからフリーメイソン(秘密結社)はメーソンリー(石工)の聖地であり、カーペンターホール(大工組合)が絶大な権力を持ったのがフィラデルフィア(独立宣言都市)と言ってよいと思います。フィリー(フィラデルフィアの通称)は、米国が英領から独立前からすでに、ルネッサンス建築による、煉瓦、組積(メーソンリー、石工)、木造(カーペンター、大工)が混合するミクストユースのルネッサンス建築で統一されていました。その米国人の独立心の故郷「フィラデルフィア」に留学し祖国に帰り、同じ日本の近代化を表すルネッサンス様式を自邸として特に迎賓館として外国や政府要人を招く最高の場所とステータスを体現したものと言えます。建築様式としては、左右対称の貴族が好むデザインで玄関レベルがGLと同じ「ジョージアン様式」、左右非対称な自由を表現し一段玄関が上がり玄関からの見晴らしが快適で地下室がちょっと見える「ビクトリアン様式」に、封建的で権力的な雰囲気のある「フェデラル(連邦)様式」がフィリーには圧倒的に多い。時々見られるのはルネッサンス(古代ギリシャ、ローマ建築への懐古主義)のなかでも「グリーク・リバイバル様式」やフランスの第2帝政時代の「第2帝政様式」(ルネッサンスは英国だけでなく他のヨーロッパや世界中で巻き起こったもので、建築においては、日本も世界中でも近代化の象徴とされた)が見られる都市がこのフィリーです。明治24年に岩崎久弥は、このフィラデルフィアなるペンシルベニア大学に留学し、帰国後の明治29年に「岩崎邸」建設に着工しているという事実だ。大学留学時にこの「ルネッサンスル建築の宝庫・フィラデルフィア」を目の当たりにした岩崎久弥は度肝を抜かれたに違いない。当時の日本の近代化はルネッサンスということで、間違いなく英・米に倣おうと久弥は帰国後、東京帝国大学に招致されていた英国人建築家ジョサイア・コンドル(コンドルの奥さんも日本人で、その後東大学長となった辰野金吾はコンドルのヒゾッコとして東京駅などの設計にあたっている)をお抱え建築家として全面的に「岩崎邸創建」を任せていたのだ。建築デザインは、ジャコビニアン様式と言われていますが、ルネッサンス建築のビクトリアン様式と言っていいと思います。当時の日本の近代建築は、「ルネッサンス建築」が日本国の近代化の指針でしたが、この建築様式は英国の王族の時代時代で呼び名が変わります。「ジャコビニアン様式」は、17世紀のジェームズ1世からチャールズ1世当たりの時代の人気のあった建築スタイルであり、同じように時代が変わると「アダム様式、エリザベス様式、ジョージアン様式、ビクトリアン様式」などと一般的に呼ばれます。ルネッサンスは、学校の教科書では総体的に「文芸復興」と習ってきましたが、ルネッサンス建築は、「古代ローマ」への憧れや原点回帰をあらわす建築デザインです。英国に限らず、フランスの「第2帝政様式」や米国の「フェデラル様式(連邦)」として、また戦前に日本が併合した韓国、植民地であった台湾、満州国の都市計画では、間違いなくこの「ルネッサンス建築」が採用されています。西側の無縁坂の煉瓦の外塀の中が「旧・岩崎邸」の敷地となりますが、この外塀とほぼ平行の「石積」の上り坂をあがった北東側に「入口」があります。この入口手前の見逃してしまいそうな場所に、三菱の社紋の「袖塀」があり、三菱の初期の菱形の紋章が目に入ります。敷地に入ると前庭の向こうにそびえる木造3階建(地下室を含む)のルネッサンス建築、17世紀のジャコビアン様式の旧・岩崎邸が目に飛び込んできます。設計はお抱えの英国人ジョサイア・コンドルでこの岩崎邸以外に、国立博物館、三井倶楽部、鹿鳴館、ニコライ堂、古河邸があるが、私が見たのは仕事で行った国立博物館、三井倶楽部(三田)とニコライ堂(御茶ノ水)だけです。東大に招致されていたコンドルの門下生では、煉瓦造の東京駅を担当した辰野金吾が日本の近代建築の草分けといえます。建物は木造の下見板張りペンキ仕上げ。左右非対称で東西南北が折衷様式でありながらルネッサンス建築の要素はしっかり守られています。全体的にジャコビアンでもありビクトリアン様式のバンガロウ型式と言っていいと私は思います。屋根は天然スレート瓦、窓はボウウインドウや張り出し窓のベイウインドウのオーナメント(装飾)の彫刻が素晴らしいです。西側の主庭側から見た旧・岩崎邸には2段式のバルコニーがあり円柱と梁の構成で、ポーチコ(柱)が古代ローマの建築意匠でこちらも美しい彫刻が施してあります。2階はイオニア式(アイオニックシンメトリー)で1階の方はドーリア式(ドーリックシンメトリー)。イオニア式は元々BC7世紀、小アジアのイオニア地方で成立した建築様式です。今回の視察では、このバルコニーに使われた用材についての表示は見つかりませんでしたが、以前の調査では、岩崎邸は、ルネッサンス建築で建築様式はジャコビアン様式と言われているが、東西南北のそれぞれの表情から折衷様式と言ってよい。このダイナミックな2層のバルコニーは現在なら「ビクトリアン様式のスイスコテージ型式」などといわれるが、設計者であるジョサイア・コンドルは英国人であり、当時の英国は世界中をコロナイズ(植民地化)していた時代です。特に東インド会社の関係で、インドとは英国は密接であり「インドのベンガル地方の建築」は日除けと風通しまた日焼けやスコールから建物を守り憩いの「緩衝地帯」としてフロントポーチを設けていました。この「ベンガル」の建築デザインを「バンガロウ」と呼ぶようになっています。長崎のグラバー邸は、日本で最初のこの「バンガロウ様式」です。また、ヨーロッパの王族は建物の中から民衆の前に建つ際にこのバルコニーが使われ、権威の象徴としても非常に重要な場所でした。三菱財閥3代目で岩崎弥太郎の長男としては、久弥は先進国のルネッサンス建築で日本の近代化をあらわし自らの権威の象徴として2段の重厚なバルコニーを設けたことは疑いがないと考えられます。また外部で使った建材は、長い年月に風雨にさらされても朽ち難く、また北限産という希少価値のあった「シベリア産ラワン材」が用いられ、現在も変わらず使い継がれています。また、1階バルコニーの床には「サラセン」のモザイクタイルが敷き詰められていますが、これらの建材は希少性あるものばかりです。世界中から文化的に価値のある品々を集めた商運会社三菱ならではのものと言えます。主邸から見て西側には見事なイオニア式&ドーリア式の1・2階2連のバルコニーがそびえ立つジャコビアン様式です。しかし岩崎邸の外観は「ルネッサンス建築」の折衷様式。ジャコビアン様式、ビクトリアン様式、ジョージアンなど様々な様式の「バンガロウ型式」。総称すると「ルネッサンス建築のビクトリアンなど折衷様式のバンガロウ型式」と言ってよいと思います。この西側のウィンターガーデンは通称「サンルーム」と呼ばれています。前回の視察では、後付けのエクスペンション(増築)だと思い込んでいましたが、内部を見ると廊下と一体的に繋がる一体居室とわかります。サンルーム内部に展示されていた当時の岩崎久弥家一族の白黒写真がそれを証明しています。今自分が居るこの場所は、100年以上前に岩崎家の人々が特別な場所として記念撮影され、そのまま自分が立っているのがこの場所というのは何とも感動的ですここの装飾は、横浜山手町に現存する旧大使館宅などの装飾(彫刻)とは比べ物にならないほどの繊細で豪華なものと言えます。これは三菱創業3代目社長で弥太郎の長男久弥が選んだお抱え英国人建築家ジョサイア・コンドルと久弥自身の米国留学と深く関係しているとわたしは勝手に想像しています。どの文献を探しても建築デザインに関する3代目久弥の考えを著わしたものが見つからないため想像の域を出ませんが、そのあたりは今後もしっかりと調査していきたいです。旧・旧岩崎邸の展示や解説のスタンドなどが置かれ、スリッパで見学する床には経年変色したジュータンが敷かれ、とても残念ですが、ジョサイア・コンドルの建物とインテリアの設計は、贅を尽くした建築資材に施された装飾、彫刻の美しさは何度見ても飽きのこない素晴らしいものでした。旧岩崎邸の外観(エレベーション)は英国人建築家ジョサイアコンドルによるルネッサンス建築でビクトリアン、ジョージアン、ジャコビアン様式をもつ折衷意匠です。内装(インテリア)においても全面的に英国人コンドルの手によるインテリア・デザインが採用されているが、やはりビクトリアン調やイスラム調、サラセン調などの折衷様式です。1・2階共に居室の壁は漉いた和紙に型押し(エンボス加工)された当時としては非常に珍しくまた超豪華であった「壁紙」が見事です。最初の画像は1階の壁紙ですがこの植物をモチーフにしたサラセン調の壁紙とアンティークな鋳物の照明スイッチ。壁紙で、特筆なのは2階のメインルームに施された「金唐革紙」です。欧米の皮革工芸品に「金唐革(きんからかわ)」がありますが、貴族や王宮どの室内装飾の中でも高級壁装材でした。鎖国が続いた日本では、技術移転と入手が困難な高額品であり、和紙を素材とした代替品として、1684年に三重県伊勢でこの「金唐革紙」の始まりました。その後日本の特産品としてパリ万博で好評を得た後、英国のバッキンガム宮殿でも採用されたものです。英国発の「金唐革」が日本で「金唐革紙」となり英国に里帰りしたことはモノづくり日本の快挙と言えるものです。【和館】は、旧・岩崎邸の日本建築と周辺施設。洋館の1階の廊下を北側に進むと、和館へとつながっています。和館の天井高は洋館の約1/2と低いですが、迎賓館として使われた【洋館】と同じ時期に大河喜十郎により設計され、明治29年に完成した伝統的和風建築です。三菱3代目社長岩崎久弥の大邸宅は和漢だけでも550坪はあったと言われますが、現在は減築されています。とはいえ現在でも大きなこの和館は、文化財としての価値が高く、当時は日常生活に使われ家族もこちらで暮らしていました。一方の洋館の方は公的な迎賓館として使われていた。良質な用材が多用に用いられ、釘隠しなど各所に岩崎家の家紋である三階菱の意匠が見られる。1969年(昭和44年)に「大広間」の名称で重要文化財に指定されましたが、同時期に和館の大部分が取り壊されてしまいました。かつての550坪の大邸宅は、現在、大広間、次の間、三の間の3室と、茶室(待合室)、渡り廊下、便所のみが残されているだけなのは非常に残念です。【撞玉室】は洋館の南側にあるログハウスの建物で木造のビリヤード室。建築はゴシック様式で木造校倉造の外観は、スイス・コテージの意匠で屋根は洋館同様の天然スレートです。洋館と同じくジョサイア・コンドルの設計で明治29年に完工しています。洋館の地下室とは地下通路で結ばれ、内壁には明治期の金唐革紙がはられています。 (文京区街歩きレポートPart1・3終了)
                                  取材:HICPM住宅生産性研究会正会員  ㈱アップル 大竹 喜世彦




























































                                 
                           取材:JMRA日本民家再生協会正会員  ㈱アップル 大竹 喜世彦

    弊社の古民家再生事例―

【築80年の古民家改修:飯能市下名栗】
         【Before】



 

 

 

 

 

     【Ater】屋根・外壁・窓の断熱改修
 

 

 

 

 

  
                                【Ater】キッチンの自然素材&断熱改修
                        
 

 

              

              

              

 

 
              

 

                          

                                 取材:JMRA日本民家再生協会正会員  ㈱アップル 大竹 清彦


          【エコロジーの先端、捨てない文化を取り戻す・ビンテージリフォーム】
建築基準法で規定されている現在の【在来工法】は柱や桁梁の接合部に金具補強して、面材や筋交いなどの耐力壁で地震等に抵抗します。これに対し古民家などの【伝統的工法】では、柱や桁梁の接合部は木組みのみで金具の補強はありません。代わりに【伝統的工法】では土塗り壁、竹小舞、差し鴨居、貫などが主要な耐力要素となります。【伝統工法】では土台を使わず1階の柱を直接礎石に立てる【石場建て仕様】が用いられることがあります。特に西日本以西では夏場の床下通気やシロアリ対策から【石場建て仕様】が採用された民家が少なくありません。 【限界耐力計算】という方法で確認申請の適合判定が通れば、こうした【伝統木造軸組み住宅】も新築できる。しかし、この申請・審査には大変な手間がかかり、その結果、現在新築の実績は年間数棟にすぎないのが実情です。 わたしたちは、この【伝統的工法】で使わてきた柱や梁といった構造材の再構築としてリユースする道筋をつけ、消えゆく貴重な資源をリモデリングというで使い継いでまいります。 古いという理由だけで何もせずただ壊して捨てたらゴミになるだけ。しかし、リモデリングで再使用したらあと何年再活用できるでしょうか。 ビンテージ・リフォームは【伝統的工法で使われてきた古材】を大切に、そのままの形で出来るだけ長く使い、捨てない文化を取り戻す究極のエコロジカルなコンセプト・リフォームです。

                           【古材を活用した弊社アップルのリモデリング例】

  ―栃木・旧藤岡町/F邸・230年前の土蔵解体(2011年) ⇒下野市/H邸・古材梁を再活用したマンション・リモデルへ(2012年)
 
―マンションのキッチン・リモデリング―
 16年のマンションの全面改修の一部

薄暗く、開放感のない元の対面型キッチンをリ・モデリング
キッチン台は造作中心のオリジナル
床暖房+LDKは明るく開放的なキッチンに家族が集うようになりました

【Before】
 

 

【施工中】

キッチン台を組み、古材も取付け、LD側のカウンターもインストールして周辺を造作
 
仕上げ:弊社インテリアコーディネーターが詳細を現場で指示
 

 
古材に合わせて周りの造作家具なども自然塗料リボス+京都山中油店の鉱物顔料で着色
 
左官:カウンター天板、袖壁
 

 
天板の左官:クリスタルインレイ使用、蜜蝋で撥水加工 
 
袖壁の左官:スイス漆喰、カルクウォール、エイジング加工
 

【After】






























  ―福島・田島町/I邸・古民家解体(2004年) ⇒下野市/T邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2009年)

    

    

    

   

  

  

【古材を活用したリモデリング例】

   ―栃木・藤岡町/A邸・古民家解体(2007年) ⇒小山市/S邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2008年)
静かな農村地帯に昔懐かしい風情を残す「青木邸」は江戸時代には、この土地で栄えていた大規模な農家。現在、旧道沿いに立つこの家の母屋は約100年前のもの。昔は街道の両脇に茅葺屋根の家々が立ち並ぶ日本の原風景を残す土地でもあった。最近はテレビの番組でも多く登場するようになった古民家とはいえ、子供の頃には「暗くて寒くて怖い」場所と思い育ったそうです。お母さんとの2世帯住宅を建てる決意をされたものの、祖先が使い残してくれたこの母屋をただ解体することに寂しさを感じていらした青木さんご夫婦。「まだ、使えるものなら是非、再生に活用て使い続けて下さい」と。まさに「200年住宅」の真髄ではないでしょうか?昔から、捨てずに大切に使い続けてきた構造材。本来、日本では当たり前に行われてきた建築文化です。もちろん、何もせず、200年耐用できるものなど何処にもありません。定期的に修理修繕し、次代を越え愛着を持ちながらメンテナンスし熟成されてきたのです。大切に使い住み続ける社会の実現。これこそがわたしたちの目指す「200年住宅」の意味するところではないでしょうか?青木さん、わたしたちアップルで古材として立派にリモデリングで大切に活用させていただきます。
                          Before(青木邸
     

   
 当時の貫工法(在来工法の原型)や竹小舞の土壁。地場の欅と松の曲がり梁が素晴らしい。
  
                  After(再生リモデル完成しました

     
 
増改築前(外観)              (和室)                    (廊下)         改装中古材をクレーンで搬入
        
    
       改装中:青木さんの地松の古材梁を2本活用、ドイツ・リボス自然素材塗料で綺麗に蘇る。 
  改築後(廊下)杉の古材柱を廊下でも活用、手洗いをしつらえ、トイレも増設。内装はスイス本漆喰左官&ドイツ・ウッドチップクロス張り
 
    
  改築後(寝室)
   
  改築後(和室:1) 内装:ドイツ・ウッドチップクロス                (和室:2)内装:愛知・桃山土壁(弁柄壁)  
    

【その他、古材を活用したリモデリング例】 Before⇒After
                    
                   よくある普通の和室             「古材の柱」で作った「自在ガキ」をぶら下げ、囲炉裏風の設えに。
                                             「古材梁」を4本使っています。

古民家を見て、その素晴らしさに感動する人は多い。その佇まいはわたしたちの五感に訴えるものは非常に多いが、本当の素晴らしさと意味するところは、自然のシステムが無駄なく利用されている先人たちの知恵に気づく点です。民家に蓄積された仕掛け、例えば風を防ぐ工夫、逆に風を導く工夫、高湿から室内を守る工夫、暗さを補う天窓の工夫といった仕掛けは、わたしたちのスローライフな暮らし方を見直すことを教えてくれます。これは過去への回帰を意味するのでなく、未来の住宅のために、伝統技術を見直し、継承し、新しい知恵を加えるということにつながって行きます。 民家の様々な歴史、文化的な背景を知ることは、ものの真の価値を知ることも出来ます。 裏付けのある知識を持つことで「先人たちの知恵」のルーツを知ることが出来ます。 例えば、家族団らんの食事は囲炉裏を囲んで・・・と思われていますが実は、『囲炉裏』は養蚕のための暖房であり、生活に余裕はなく、封建的なスタイルで食事は各自お膳で取っていた・・・。 しかし、現在はそのような封建的な風習はありませんから、『囲炉裏』は家族で仲良くみんで囲めばいい。 このように、民家を知ることは、わたしたちの先人たちの、地域にあった住まい方を正しく知り、その知恵を活用し、さらに長い年月をかけ熟成させていくものではないでしょうか。
江戸時代から、木材を再利用するのは当り前の時代でした。これがいつしか捨てる文化に変わってしまった。究極のエコロジーは、そのままの形で出来るだけ長く使うこと。ビンテージリフォームは、そんな私達の考えが詰まったコンセプト・リフォームです!リフォームアップルで強力に推進中!
古材を多用するビンテージリフォームは、高い志と古来の伝統工法の豊富な見識を習得した古材施工技術士に是非一度ご相談下さい。
                             日本民家再生リサイクル協会正会員 ㈱アップル・リフォームアップル自治医大店 大竹喜世彦 
 

  


【茅葺屋根の古民家】
八郷町には60余棟の『茅葺の里』があります。毎年年末に、八郷町の地元の【茅葺屋根保存会】の方々と、とわたしたち【民家再生リサイクル協会】茅刈り隊】、筑波大学生らのボランティアを含むメンバー(200名近く)は【つくば学園都市】にある高分子研究センターでヨシ刈りを行なっています。八郷の茅葺屋根の葺替えに使うための【ヨシ刈り】です。
そして、毎年この4月初旬に、民家再生リサイクル協会では、八郷町、地元【茅葺屋根保存会】の方々と、茅葺古民家で交流会を行い、早春の一日を美しい里山と日本の原風景が残る茅葺集落で過ごしております。戦後のヨーロッパでも、日本と同じように茅葺屋根は激減しましたが、現在は高級住宅地などのステータスシンボルとして使われ人気が高いそうです。・・・
さて、日本の茅葺について。かつての日本の茅葺文化は農村生活と深く結びつき社会活動とのかかわりが欠かせませんでした。筑波一帯は、江戸城の鬼門を守る門前町として栄え、特に筑波山麓では江戸末期からは専門職として【茅葺職人】が成り立ち、地方ごとに特異な形の技術が発達しながら、地域社会と強い関わりを持ってきました。村人は【ユイ・結】を組織し、茅葺を手伝い、古くなった屋根の改修で出た【古茅】は大切にリサイクルしまた、重要な肥料として農地にも還元され、その【マテリアル】自体も自己完結型で地域循環していました。
古民家再生の環境的側面】
日本の産業廃棄物のうち約20%を建設廃棄物が占め、民生部門のエネルギーのうち約45%を住宅が占めると言われる。社会全体の環境負荷の低減を図るには、この住宅建築をいかに環境配慮型に変えていくかが重要な課題です。住宅建材のリサイクル率向上や生活エネルギー使用量減少はどうすれば可能なのか?わたしたちは伝統的な素材、工法に、関わる最先端の知識に触れ、エコロジカルな視点からも民家再生に注力しています。
毎年建っている戸建住宅は約数十万戸で、最新の技術、性能を持ちます。しかし、立て替えればで、産業廃棄物と大量のゴミを発生させます。そして、もうすでに建ってしまっている既存住宅1500万戸はどうすればいいのでしょうか?わたしたちはリモデル、リフォーム(欧米ではリフォームというと歯の矯正の意味も含まれ、一般的にはリモデリング、ホームインプルーブメントと言われています。)を通じて、ゴミ問題も含むエネルギーなどの環境負荷低減をはかってまいります。とりわけ大きな機械装置(製造エネルギーが多大で廃棄時にリサイクルできないものを主に言います)の導入でアクティブな「省エネ」を図る方法よりも、より自然エネルギーをそのままの形で活用するパッシブな「省エネ」デザイン、設計を心がけていこうと考えます。
『ふるさと』というところは、我慢や不自由の多いところですが、その中で人は一生懸命に美的な誇りを探し美しく幸福に生きようとしています。その力こそ今の時代に必要だと『八郷』は、私達に教えようとしています。『町守り』は『町興し』に名を借りた開発行為とは異質のものでしょう。
『町守り』とは文化をその地で、地道に頑なに守り続けること。そこでは、簡単には壊さず大切に長く使う知恵が凝縮されています。作っては壊す、日本の現状の見直しは急務でしょう。
                           
                             NPO日本民家再生リサイクル協会正会員(株)アップル 大竹喜世彦

 ===大切なものを壊さず、使い継ぎ再生させる。福島県会津から古材を入荷しました。===

                      【古材でリモデルしませんか?】 
ビンテージ・リフォームは、そのままの形を出来るだけ長く使い、捨てない文化を取り戻し、究極のエコロジカルの先端をいくコンセプト・リフォー


      
本格的に古民家をほどき、移築するのではなく、もっとライトな感覚で古材を生活の中で活用してみましょう。 たとえば、和室に『囲炉裏』 や庭に『茶室』・古民家風のわたしの 『アトリエ」』などはいかがでしょう。二階の『使わなくなった部屋』を古民家風に設えてもいいでしょう。厳格なエコロジストではなく、もっと気楽にライトに生活を楽しむチルチン人やロハスな人々。…そんなライフスタイルの方々が急増しています。
㈱アップルではそんなロハスな方々を応援中です。
    リフォームアップル自治医大店 大竹喜世彦

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