【日時】平成30年・4月18日(水) |
鎌倉は鎌倉幕府が開かれて以来、その地形は四神相応の優れた風水の整ったところとして、多くの人たちがそこに住居を構えてきました。また、風光明媚な湘南海岸は、明治以来近代国家建設で大きな富を築いた人たちが、景観と眺望の優れたこの土地に、欧米の近代建築やわが国が誇る数寄屋建築を建設してきました。いずれも、戦災にも遭わなかったことが、貴重な優れた建築デザインを現在に伝えています。今回見学した建築はいずれも、建築の歴史文化を伝承した建築のボキャブラリー(「建築形態」、「建築詳細」、「建築装飾」)を駆使してデザインされたもので、それぞれの建築家が建築物をとおして、見る人たちに建築文化を伝えようとしています。そのメセージを読み取る視察となりました。今回はその2回目として「旧華頂宮邸」の画像を掲載いたします。昭和4年建築の古典的なハーフティンバー・スタイル工法の洋風建築で国の登録有形文化財。。建築様式としては「ビクトリアン・スティック」です。鎌倉の「旧華頂宮邸」から長谷寺のある長谷地区へ移動いたしました。この界隈には明治から昭和期の日本の近代建築が数多く残る町として徒歩で視察が出来る場所です。まずは長谷寺の参道にある「旅館・對僊閣」へ。高浜虚子がホトトギスの会を開き、与謝野晶子が宿泊した当時の雰囲気を残す現役の旅館です。對僊閣は明治末期から120年以上旅館を続け、現在の建物は関東大震災後の昭和初期に建築されたものです。對僊閣は明治時代、大仏裏で宿屋を営んでいた鈴木家によって避暑に訪れる皇族・華族などの料理番として旅館を開業したのが始まりです。その後、関東大震災により全壊。1927年(昭和2年)頃に再建され現在に至っています。對僊閣から国道の大通りに出ると、「のり真安齋商店」の木造の店舗が見えて来ます。のり真安齋商店は、1913年(大正2年)農水産物加工問屋卸商店(乾物屋)として開業し、現在の建物は1924年(大正13年)に建てられました。石造の基礎や土間、揚戸(あげど)などが開業当初からの姿をよくとどめ、店舗の奥には1938年(昭和13年)に建てられた倉庫兼住宅も残されています。国道の向う側には明治22年創業の「柴崎牛乳本店」のレトロな感じの看板が目立つ柴崎商店が見えます。国道を鎌倉方面へ少し歩くと「文学館入口」の道路標識が見え左折して進むと瀟洒で昔ながらの長谷地区の住宅街に入っていきます。その奥まったやや傾斜のある場所にあるのが「旧前田伯爵家邸」(鎌倉文学館)です。鎌倉文学館の本館と広大な敷地は、加賀百万石の藩主で知られる旧前田家の別邸でした。昭和60年鎌倉ゆかりの文学者の文学資料を保存展示する文学館として開館しました。篤二次世界大戦後、デンマーク公使や佐藤栄作元首相が別荘とLて使用していたこともあり、三島由紀夫は執筆のために別邸を取材し、小説「春の雪」にこの別荘を謳っております。そして昭和58年、この旧前田侯爵家別邸が鎌倉市へ寄贈され文学館として活用され現在に至っております。「旧前田伯爵邸」から国道へ戻る途中の住宅街に日本の近代建築を彷彿させる「旧諸戸邸」(鎌倉市長谷子ども会館)が見えて来ます。この建物は、明治41年に福島浪蔵氏邸として建てられ、大正10年に諸戸清六氏の所有となり、昭和55年に鎌倉市に寄贈されました。
外観は、バルコニーの柱にギリシア建築の様式を取り入れメダリオン飾りが付けられており、ドア枠と窓枠には手の込んだ装飾が施されるなど、ノスタルジーを感じる日本の近代建築の特徴をとどめております。やや傾斜のある道を国道に戻る少し手前に「加賀谷邸」が見えて来ます。こちらは現在もお住いの邸宅ですが、関東大震災後の大正14年(1925年)に建てられた木造2階建の建物で、非公開ながら平成21年に鎌倉の景観重要建築物(指定第31号)に指定されています。この長谷界隈の旧市街地には、景観重要建築物等に指定されている先ほどの「旧前田伯爵邸(鎌倉文学館)」、「旧室戸邸(鎌倉市長谷子ども会館)」、「白日堂」、「旅館對僊閣、「のり真安齊商店」などの歴史的建造物や鎌倉ゆかりの由緒ある邸宅が集積している歴史文化を感ずる地域です。これらの建物は、背景の山々と相俟って非常に魅力的な景観を創り出しています。その中でも加賀谷邸は、ひときわ目を引く背の高い洋館
と趣のある和風の主屋が和風庭園の豊かな緑と創り出す景観は、周辺のランドマークになっています。
取材:HICPM住宅生産性研究会正会員 ㈱アップル 大竹 喜世彦
【旧華頂宮邸】
【旧華頂宮邸】
鎌倉から長谷寺界隈へ
【旅館・對僊閣】
【のり真安齋商店】
【旧柴崎牛乳本店】柴崎商店
【旧前田侯爵家別邸(鎌倉文学館)】
【旧諸戸邸(子ども会館)】
【旧加賀谷邸】
―マンションのキッチン・リモデリング― 16年のマンションの全面改修の一部 薄暗く、開放感のない元の対面型キッチンをリ・モデリング キッチン台は造作中心のオリジナル 床暖房+LDKは明るく開放的なキッチンに家族が集うようになりました |
【Before】 【施工中】 キッチン台を組み、古材も取付け、LD側のカウンターもインストールして周辺を造作 仕上げ:弊社インテリアコーディネーターが詳細を現場で指示 古材に合わせて周りの造作家具なども自然塗料リボス+京都山中油店の鉱物顔料で着色 左官:カウンター天板、袖壁 天板の左官:クリスタルインレイ使用、蜜蝋で撥水加工 袖壁の左官:スイス漆喰、カルクウォール、エイジング加工 【After】 |
―福島・田島町/I邸・古民家解体(2004年)⇒下野市/T邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2009年)―
【古材を活用したリモデリング例】
―栃木・藤岡町/A邸・古民家解体(2007年) ⇒小山市/S邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2008年)―
静かな農村地帯に昔懐かしい風情を残す「青木邸」は江戸時代には、この土地で栄えていた大規模な農家。現在、旧道沿いに立つこの家の母屋は約100年前のもの。昔は街道の両脇に茅葺屋根の家々が立ち並ぶ日本の原風景を残す土地でもあった。最近はテレビの番組でも多く登場するようになった古民家とはいえ、子供の頃には「暗くて寒くて怖い」場所と思い育ったそうです。お母さんとの2世帯住宅を建てる決意をされたものの、祖先が使い残してくれたこの母屋をただ解体することに寂しさを感じていらした青木さんご夫婦。「まだ、使えるものなら是非、再生に活用て使い続けて下さい」と。まさに「200年住宅」の真髄ではないでしょうか?昔から、捨てずに大切に使い続けてきた構造材。本来、日本では当たり前に行われてきた建築文化です。もちろん、何もせず、200年耐用できるものなど何処にもありません。定期的に修理修繕し、次代を越え愛着を持ちながらメンテナンスし熟成されてきたのです。大切に使い住み続ける社会の実現。これこそがわたしたちの目指す「200年住宅」の意味するところではないでしょうか?青木さん、わたしたちアップルで古材として立派にリモデリングで大切に活用させていただきます。
Before(青木邸)
当時の貫工法(在来工法の原型)や竹小舞の土壁。地場の欅と松の曲がり梁が素晴らしい。
After(再生リモデル完成しました)
増改築前(外観) (和室) (廊下) 改装中:古材をクレーンで搬入
改装中:青木さんの地松の古材梁を2本活用、ドイツ・リボス自然素材塗料で綺麗に蘇る。
改築後(廊下)杉の古材柱を廊下でも活用、手洗いをしつらえ、トイレも増設。内装はスイス本漆喰左官&ドイツ・ウッドチップクロス張り
改築後(寝室)
改築後(和室:1) 内装:ドイツ・ウッドチップクロス (和室:2)内装:愛知・桃山土壁(弁柄壁)
【その他、古材を活用したリモデリング例】 Before⇒After
よくある普通の和室 「古材の柱」で作った「自在ガキ」をぶら下げ、囲炉裏風の設えに。
「古材梁」を4本使っています。
古民家を見て、その素晴らしさに感動する人は多い。その佇まいはわたしたちの五感に訴えるものは非常に多いが、本当の素晴らしさと意味するところは、自然のシステムが無駄なく利用されている先人たちの知恵に気づく点です。民家に蓄積された仕掛け、例えば風を防ぐ工夫、逆に風を導く工夫、高湿から室内を守る工夫、暗さを補う天窓の工夫といった仕掛けは、わたしたちのスローライフな暮らし方を見直すことを教えてくれます。これは過去への回帰を意味するのでなく、未来の住宅のために、伝統技術を見直し、継承し、新しい知恵を加えるということにつながって行きます。 民家の様々な歴史、文化的な背景を知ることは、ものの真の価値を知ることも出来ます。 裏付けのある知識を持つことで「先人たちの知恵」のルーツを知ることが出来ます。 例えば、家族団らんの食事は囲炉裏を囲んで・・・と思われていますが実は、『囲炉裏』は養蚕のための暖房であり、生活に余裕はなく、封建的なスタイルで食事は各自お膳で取っていた・・・。 しかし、現在はそのような封建的な風習はありませんから、『囲炉裏』は家族で仲良くみんで囲めばいい。 このように、民家を知ることは、わたしたちの先人たちの、地域にあった住まい方を正しく知り、その知恵を活用し、さらに長い年月をかけ熟成させていくものではないでしょうか。
江戸時代から、木材を再利用するのは当り前の時代でした。これがいつしか捨てる文化に変わってしまった。究極のエコロジーは、そのままの形で出来るだけ長く使うこと。ビンテージリフォームは、そんな私達の考えが詰まったコンセプト・リフォームです!リフォームアップルで強力に推進中!
古材を多用するビンテージリフォームは、高い志と古来の伝統工法の豊富な見識を習得した古材施工技術士に是非一度ご相談下さい。
日本民家再生リサイクル協会正会員 ㈱アップル・リフォームアップル自治医大店 大竹喜世彦
【茅葺屋根の古民家】
八郷町には60余棟の『茅葺の里』があります。毎年年末に、八郷町の地元の【茅葺屋根保存会】の方々と、とわたしたち【民家再生リサイクル協会】茅刈り隊】、筑波大学生らのボランティアを含むメンバー(200名近く)は【つくば学園都市】にある高分子研究センターでヨシ刈りを行なっています。八郷の茅葺屋根の葺替えに使うための【ヨシ刈り】です。
そして、毎年この4月初旬に、民家再生リサイクル協会では、八郷町、地元【茅葺屋根保存会】の方々と、茅葺古民家で交流会を行い、早春の一日を美しい里山と日本の原風景が残る茅葺集落で過ごしております。戦後のヨーロッパでも、日本と同じように茅葺屋根は激減しましたが、現在は高級住宅地などのステータスシンボルとして使われ人気が高いそうです。・・・
さて、日本の茅葺について。かつての日本の茅葺文化は農村生活と深く結びつき社会活動とのかかわりが欠かせませんでした。筑波一帯は、江戸城の鬼門を守る門前町として栄え、特に筑波山麓では江戸末期からは専門職として【茅葺職人】が成り立ち、地方ごとに特異な形の技術が発達しながら、地域社会と強い関わりを持ってきました。村人は【ユイ・結】を組織し、茅葺を手伝い、古くなった屋根の改修で出た【古茅】は大切にリサイクルしまた、重要な肥料として農地にも還元され、その【マテリアル】自体も自己完結型で地域循環していました。
【古民家再生の環境的側面】
日本の産業廃棄物のうち約20%を建設廃棄物が占め、民生部門のエネルギーのうち約45%を住宅が占めると言われる。社会全体の環境負荷の低減を図るには、この住宅建築をいかに環境配慮型に変えていくかが重要な課題です。住宅建材のリサイクル率向上や生活エネルギー使用量減少はどうすれば可能なのか?わたしたちは伝統的な素材、工法に、関わる最先端の知識に触れ、エコロジカルな視点からも民家再生に注力しています。
毎年建っている戸建住宅は約数十万戸で、最新の技術、性能を持ちます。しかし、立て替えればで、産業廃棄物と大量のゴミを発生させます。そして、もうすでに建ってしまっている既存住宅1500万戸はどうすればいいのでしょうか?わたしたちはリモデル、リフォーム(欧米ではリフォームというと歯の矯正の意味も含まれ、一般的にはリモデリング、ホームインプルーブメントと言われています。)を通じて、ゴミ問題も含むエネルギーなどの環境負荷低減をはかってまいります。とりわけ大きな機械装置(製造エネルギーが多大で廃棄時にリサイクルできないものを主に言います)の導入でアクティブな「省エネ」を図る方法よりも、より自然エネルギーをそのままの形で活用するパッシブな「省エネ」デザイン、設計を心がけていこうと考えます。
『ふるさと』というところは、我慢や不自由の多いところですが、その中で人は一生懸命に美的な誇りを探し美しく幸福に生きようとしています。その力こそ今の時代に必要だと『八郷』は、私達に教えようとしています。『町守り』は『町興し』に名を借りた開発行為とは異質のものでしょう。
『町守り』とは文化をその地で、地道に頑なに守り続けること。そこでは、簡単には壊さず大切に長く使う知恵が凝縮されています。作っては壊す、日本の現状の見直しは急務でしょう。
NPO日本民家再生リサイクル協会正会員(株)アップル 大竹喜世彦
===大切なものを壊さず、使い継ぎ再生させる。福島県会津から古材を入荷しました。=== |
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