【日時】令和2年7月15日(水) |
東京・中央区にあるタワーマンションのリフォーム工事を行っていました。今回はその現場近くの歴史的建造物の見学第2弾として「築地本願寺」をレポートいたします。地下鉄日比谷線の築地駅の階段を上がってすぐにある本願寺は表通りから見るだけで中に入ることは無かったですが、公開されている範囲内まで見学しました。建築的な所見は公開されている資料から抜粋して掲載いたします。「築地本願寺」は、1617年に浅草近くに創建されましたが、1657年の「明暦の大火」とよばれる大火事で焼失してしまいます。その後、再建のため江戸幕府から与えられた土地が現在の場所ですが、当時は海上でした。そこで海を埋め立てて土地を築き本堂を建立したことが「築地」という名称の由来になっています。また1923年には関東大震災に伴う火災により再度本堂を焼失しましたが、1934年に再建し現在の本堂の姿となりました。現在の本堂は、帝国大学(現、東京大学)名誉教授で建築史家の伊東忠太博士の設計によるものですが、建築研究のためアジア各国を旅した博士と、時を同じく、仏教伝来ルートを明らかにするために探検隊を結成し、シルクロードを旅した大谷光瑞(当時の浄土真宗本願寺派門主)との出会いが縁となっています。築地本願寺の建物は、インド等アジアの古代仏教建築を模した外観や本堂入り口のステンドグラス、数多くの動物の彫刻などが特徴で、オリエンタルな雰囲気は、まさにシルクロードを伝わる仏教伝来のルーツを感じさせます。その一方で、内観においては僧侶のお勤めスペースよりも本堂内の参拝スペースの方が広く、中央正面に本尊阿弥陀如来を安置しているなど、伝統的な真宗寺院の造りとなっています。2014(平成26)年には本堂及び大谷石の石塀と三門門柱が国の重要文化財に指定されました。シルクロードを旅してきた伊東忠太博士でなければ作り上げることのできない、独特な仏教寺院といえます。「築地本願寺」は京都西本願寺の東京の拠点です。お寺といわれても、日本中いや世界中に二つとない空前絶後の奇妙な建築といえます。しかし、仏教はもともとインドで誕生したものだから、インド建築の様式を取り入れたといえば、もっともです。日本の仏教は中国から来たているので、日本の寺院は初めから中国の建築様式を模倣しており、世界最古の木造建築といわれる法隆寺を初めとして、全て中国にお手本があったといえます。その中国を飛び越していきなりインドの建築をお手本としたのは、ここが唯一の例と言われています。しかも、ここは鉄筋コンクリート造の寺院です。仏教寺院は原則としてほぼ全てが木造で、なかには鉄筋コンクリートも多少あり、一番よく知られているのは、浅草の「浅草寺」です。しかしながら、浅草寺は鉄筋コンクリートを使って、中国式の木造建築をそっくり作ってしまったから、一見するとコンクリートには見えません。しかし、この「築地本願寺」は、鉄筋コンクリートでインド式を作ってしまったものです。驚くべきことですが、寺院側と建築家の側によほど変わった強い決断力のある人物がいたに違いないです。それが、寺院側の大谷光瑞(1879(明治9)年〜1948(昭和23)年)、建築家側に伊東忠太(1867(慶応3)年〜1954(昭和29)年)がいたわけです。大谷光瑞は、浄土真宗本願寺派代22世法主。変わっているのは、教団の活動としてインドに渡り、仏教遺跡の発掘調査、資料収集のため、大規模な探検隊を出し、自らその先頭に立って奥地に分け入ったことです。しかも探検隊は明治35年から大正3年まで、繰り返し派遣されました。その後も仏教の原典の翻訳や教育活動に熱心に取り組んだ異色の仏教指導者です。 一方、伊東忠太は、米沢市の出身。東京帝国大学の造家学科を卒業すると、普通は国家の求める西洋式の様式建築をつくる建築家になるのが普通の時代でしたが、忠太は日本の伝統建築に目を向け、「法隆寺建築論」を執筆しています。法隆寺の柱の膨らみに注目し、これはギリシャ建築の柱の影響を受けたに違いないとして、その伝搬ルートをたどる探検旅行にでています。中国、インド、トルコ、ギリシャとすべて徒歩で踏破して行きました。大谷光瑞と伊東忠太がであったのは、この探検旅行がきっかけでした。帰国後、忠太が大谷光瑞を訪ねると、意気投合し、すぐに本願寺大連別院の設計を頼まれました。これは実現しなかったものの、のちに、二人の協力で結実したのが、京都の「本願寺伝道院」(明治45年)。そして東京の「築地本願寺」(昭和9年)です。正面に使われているドームは、西洋式でもなければ、イスラム式でもなく、まさにインド式であり、近代建築では他に例を見ません。 ギリシャ建築ならアーカンサスですが、ここは蓮の花です。 窓の形も、柱の飾りも、まったく前例のない独創的なデザインで、柱のトップ、柱頭もまったく独創的といえます。忠太は特段インドだけにこだわっていたわけではなく、ここがたまたま仏教寺院だからインドの建築様式を採用したと言われています。その忠太のボキャブラリーは非常に広く大きく、京都では「平安神宮」(純和風)、 国立には「一橋大学兼松講堂」(ロマネスク様式)、 永田町「大倉集古館」(中国風)、 御茶ノ水「湯島聖堂」(中国風)、上野不忍池「不忍弁天堂天竜門」(竜宮様式)(戦時中に焼失) 、両国「震災祈念堂」(和風) 等々です。建物の中に入るとまずは、 エントランスの床のモザイクが目に入ります。ここは幾何学的なパターンでまとめています。階段には動物の彫刻が次々に表れ、ここを守る動物たちを表していると思われます。階段を降りると聖堂内部に至り、ここまでは公開されています。 聖堂内部は、椅子が配置され、内陣まで行って礼拝できるのは、仏教寺院というよりはゴシック教会の様式を取り入れていると思われます。 なんと、入口上にはパイプオルガンも設置されています。 聖堂内部の礼拝堂では鉄筋コンクリート製の柱梁が交差する上に木造寺院の組み物が見えます。天井は非常に伝統的な仏教寺院の雰囲気をかもしだしています。たいへん不思議な建築であり、外観はインド式。内部構造は鉄筋コンクリートの近代建築。 内陣は仏教式、ホールは土足、椅子式のゴシック様式です。世界中の建築様式とディテール(詳細)を随所に自由に取り入れた建築です。 「築地本願寺」では有名人の大規模な葬式やコンサートがよく行われますが、合理的な建築で、使いやすいためと言えます。普通の寺院ならば、前庭には池や庭園がつくられますが、ここは広い前庭がなにもなく広がっています。それが現代の多目的な利用に適しているのかもしれません。怪人、伊東忠太に出会うにはもっともふさわしい建築がこの「築地本願寺」と言えます。建築家としての伊東忠太はモダニズム直前の古い建築家であり、主に外観に注力し内部空間のみどころが少ないために建築家としては決して評価は高いとは言えませんが、本人が晩年に岸田日出刀に数ある作品のなかで一番気に入っているものはどれかと聞かれて、不忍池の天竜門だとこたえています。確かに天竜門は伊東忠太の奔放なデザイン力が遺憾なく発揮された傑作でしたが(戦時中に焼失)、内部空間がなく、建築というよりモニュメントといえました。この建築家、伊東忠太は空前絶後、後継者はいませんでしたが、忠太が育てようとしたのが、大江新太郎です。その大江新太郎は日光東照宮の大修理監督に対して忠太からの指示で行っています。1935年59歳でなくなるまでの間、伊勢神宮の式年遷宮を取り仕切ったり、明治神宮の宝物館を設計しています。
取材:JMRA日本民家再生協会正会員 ㈱アップル 大竹 喜世彦
【築地本願寺/東京・中央区】
―マンションのキッチン・リモデリング― 16年のマンションの全面改修の一部 薄暗く、開放感のない元の対面型キッチンをリ・モデリング キッチン台は造作中心のオリジナル 床暖房+LDKは明るく開放的なキッチンに家族が集うようになりました |
【Before】 【施工中】 キッチン台を組み、古材も取付け、LD側のカウンターもインストールして周辺を造作 仕上げ:弊社インテリアコーディネーターが詳細を現場で指示 古材に合わせて周りの造作家具なども自然塗料リボス+京都山中油店の鉱物顔料で着色 左官:カウンター天板、袖壁 天板の左官:クリスタルインレイ使用、蜜蝋で撥水加工 袖壁の左官:スイス漆喰、カルクウォール、エイジング加工 【After】 |
―福島・田島町/I邸・古民家解体(2004年)⇒下野市/T邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2009年)―
【古材を活用したリモデリング例】
―栃木・藤岡町/A邸・古民家解体(2007年) ⇒小山市/S邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2008年)―
静かな農村地帯に昔懐かしい風情を残す「青木邸」は江戸時代には、この土地で栄えていた大規模な農家。現在、旧道沿いに立つこの家の母屋は約100年前のもの。昔は街道の両脇に茅葺屋根の家々が立ち並ぶ日本の原風景を残す土地でもあった。最近はテレビの番組でも多く登場するようになった古民家とはいえ、子供の頃には「暗くて寒くて怖い」場所と思い育ったそうです。お母さんとの2世帯住宅を建てる決意をされたものの、祖先が使い残してくれたこの母屋をただ解体することに寂しさを感じていらした青木さんご夫婦。「まだ、使えるものなら是非、再生に活用て使い続けて下さい」と。まさに「200年住宅」の真髄ではないでしょうか?昔から、捨てずに大切に使い続けてきた構造材。本来、日本では当たり前に行われてきた建築文化です。もちろん、何もせず、200年耐用できるものなど何処にもありません。定期的に修理修繕し、次代を越え愛着を持ちながらメンテナンスし熟成されてきたのです。大切に使い住み続ける社会の実現。これこそがわたしたちの目指す「200年住宅」の意味するところではないでしょうか?青木さん、わたしたちアップルで古材として立派にリモデリングで大切に活用させていただきます。
Before(青木邸)
当時の貫工法(在来工法の原型)や竹小舞の土壁。地場の欅と松の曲がり梁が素晴らしい。
After(再生リモデル完成しました)
増改築前(外観) (和室) (廊下) 改装中:古材をクレーンで搬入
改装中:青木さんの地松の古材梁を2本活用、ドイツ・リボス自然素材塗料で綺麗に蘇る。
改築後(廊下)杉の古材柱を廊下でも活用、手洗いをしつらえ、トイレも増設。内装はスイス本漆喰左官&ドイツ・ウッドチップクロス張り
改築後(寝室)
改築後(和室:1) 内装:ドイツ・ウッドチップクロス (和室:2)内装:愛知・桃山土壁(弁柄壁)
【その他、古材を活用したリモデリング例】 Before⇒After
よくある普通の和室 「古材の柱」で作った「自在ガキ」をぶら下げ、囲炉裏風の設えに。
「古材梁」を4本使っています。
古民家を見て、その素晴らしさに感動する人は多い。その佇まいはわたしたちの五感に訴えるものは非常に多いが、本当の素晴らしさと意味するところは、自然のシステムが無駄なく利用されている先人たちの知恵に気づく点です。民家に蓄積された仕掛け、例えば風を防ぐ工夫、逆に風を導く工夫、高湿から室内を守る工夫、暗さを補う天窓の工夫といった仕掛けは、わたしたちのスローライフな暮らし方を見直すことを教えてくれます。これは過去への回帰を意味するのでなく、未来の住宅のために、伝統技術を見直し、継承し、新しい知恵を加えるということにつながって行きます。 民家の様々な歴史、文化的な背景を知ることは、ものの真の価値を知ることも出来ます。 裏付けのある知識を持つことで「先人たちの知恵」のルーツを知ることが出来ます。 例えば、家族団らんの食事は囲炉裏を囲んで・・・と思われていますが実は、『囲炉裏』は養蚕のための暖房であり、生活に余裕はなく、封建的なスタイルで食事は各自お膳で取っていた・・・。 しかし、現在はそのような封建的な風習はありませんから、『囲炉裏』は家族で仲良くみんで囲めばいい。 このように、民家を知ることは、わたしたちの先人たちの、地域にあった住まい方を正しく知り、その知恵を活用し、さらに長い年月をかけ熟成させていくものではないでしょうか。
江戸時代から、木材を再利用するのは当り前の時代でした。これがいつしか捨てる文化に変わってしまった。究極のエコロジーは、そのままの形で出来るだけ長く使うこと。ビンテージリフォームは、そんな私達の考えが詰まったコンセプト・リフォームです!リフォームアップルで強力に推進中!
古材を多用するビンテージリフォームは、高い志と古来の伝統工法の豊富な見識を習得した古材施工技術士に是非一度ご相談下さい。
日本民家再生リサイクル協会正会員 ㈱アップル・リフォームアップル自治医大店 大竹喜世彦
【茅葺屋根の古民家】
八郷町には60余棟の『茅葺の里』があります。毎年年末に、八郷町の地元の【茅葺屋根保存会】の方々と、とわたしたち【民家再生リサイクル協会】茅刈り隊】、筑波大学生らのボランティアを含むメンバー(200名近く)は【つくば学園都市】にある高分子研究センターでヨシ刈りを行なっています。八郷の茅葺屋根の葺替えに使うための【ヨシ刈り】です。
そして、毎年この4月初旬に、民家再生リサイクル協会では、八郷町、地元【茅葺屋根保存会】の方々と、茅葺古民家で交流会を行い、早春の一日を美しい里山と日本の原風景が残る茅葺集落で過ごしております。戦後のヨーロッパでも、日本と同じように茅葺屋根は激減しましたが、現在は高級住宅地などのステータスシンボルとして使われ人気が高いそうです。・・・
さて、日本の茅葺について。かつての日本の茅葺文化は農村生活と深く結びつき社会活動とのかかわりが欠かせませんでした。筑波一帯は、江戸城の鬼門を守る門前町として栄え、特に筑波山麓では江戸末期からは専門職として【茅葺職人】が成り立ち、地方ごとに特異な形の技術が発達しながら、地域社会と強い関わりを持ってきました。村人は【ユイ・結】を組織し、茅葺を手伝い、古くなった屋根の改修で出た【古茅】は大切にリサイクルしまた、重要な肥料として農地にも還元され、その【マテリアル】自体も自己完結型で地域循環していました。
【古民家再生の環境的側面】
日本の産業廃棄物のうち約20%を建設廃棄物が占め、民生部門のエネルギーのうち約45%を住宅が占めると言われる。社会全体の環境負荷の低減を図るには、この住宅建築をいかに環境配慮型に変えていくかが重要な課題です。住宅建材のリサイクル率向上や生活エネルギー使用量減少はどうすれば可能なのか?わたしたちは伝統的な素材、工法に、関わる最先端の知識に触れ、エコロジカルな視点からも民家再生に注力しています。
毎年建っている戸建住宅は約数十万戸で、最新の技術、性能を持ちます。しかし、立て替えればで、産業廃棄物と大量のゴミを発生させます。そして、もうすでに建ってしまっている既存住宅1500万戸はどうすればいいのでしょうか?わたしたちはリモデル、リフォーム(欧米ではリフォームというと歯の矯正の意味も含まれ、一般的にはリモデリング、ホームインプルーブメントと言われています。)を通じて、ゴミ問題も含むエネルギーなどの環境負荷低減をはかってまいります。とりわけ大きな機械装置(製造エネルギーが多大で廃棄時にリサイクルできないものを主に言います)の導入でアクティブな「省エネ」を図る方法よりも、より自然エネルギーをそのままの形で活用するパッシブな「省エネ」デザイン、設計を心がけていこうと考えます。
『ふるさと』というところは、我慢や不自由の多いところですが、その中で人は一生懸命に美的な誇りを探し美しく幸福に生きようとしています。その力こそ今の時代に必要だと『八郷』は、私達に教えようとしています。『町守り』は『町興し』に名を借りた開発行為とは異質のものでしょう。
『町守り』とは文化をその地で、地道に頑なに守り続けること。そこでは、簡単には壊さず大切に長く使う知恵が凝縮されています。作っては壊す、日本の現状の見直しは急務でしょう。
NPO日本民家再生リサイクル協会正会員(株)アップル 大竹喜世彦
===大切なものを壊さず、使い継ぎ再生させる。福島県会津から古材を入荷しました。=== |
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