【かつての江戸幕府の用地、江戸を結ぶ水運の街】/茨城県・下妻市

【日時】令和3年11月10日(水)

 相変わらず遠方の視察を控え目な状況を続けていていますが、今回は隣県の茨城県下妻市まで出掛けて行きました。筑波山の西側に位置する下妻にはにいつごろから人が住むようになったかは定かではありません。市の資料を基にその歴史文化の記録を紹介するとともに旧市街地の歴史的建造物を探しながら街歩きを行いました。視察後半の街並み風景、この地方都市のシンボルともいえる砂沼の散策の画像はこの編集中すべて消失してしまったため画像は後日に追加いたします。まずは下妻市内に残る遺跡からこの街を探ります。西原遺跡からは、約2万8千年前の石器が見つかっており、少なくとも後期旧石器時代から人が住み始めているとされています。この地は、古くから水の恩恵をうけて文化が花開き、縄文時代早期の北山権現遺跡(北大宝)や皆葉遺跡(皆葉)のほか、特に縄文時代中期・後期の遺跡が数多く発掘されています。弥生時代の溜井遺跡(小島)、古墳時代の柴崎古墳群(村岡)なども発見され、大宝沼は古墳時代後期のものと推測され、丸木舟も出土しています。古代の下妻は常陸国と下総国の境に位置し北部は常陸新治郡、東部は同筑波郡中部、南部は下総国岡田郡に属していました。このあたりには湿地帯がひろがり「常陸風土記」や「万葉集」にも(騰波ノ江)(鳥羽淡海)と記されています。「しもつま」の地名が初めて分献に現れたのは、平安時代中期です。その頃、平の一族が常陸において強大な勢力を誇っていました。下妻市域は平将門の乱の主舞台ともなりました。中世、鎌倉時代から室町時代、特に鎌倉時代初期には下妻荘の在地領主である下妻広幹が常陸守護の八田知家に殺害され、下妻地区は小山氏によって治められるようになりました。その一方、千代川地区は大方氏や豊田氏が支配されました。また、常陸国がほぼ源頼朝の支配下に置かれると、武家護持の神として厚く信仰されていた鹿島神宮、田下村が寄進されました。
同じく鎌倉時代には、浄土真宗の祖である親鸞が坂井にいたことが、妻・恵信尼の手紙により知られています。南北朝時代になると、南朝方の拠点であった大宝城をめぐり、北朝方と戦いが繰り広げられ、大宝城は北朝方の高師冬に攻められて落城。城主の下妻政奏も城と運命をともにしました。15世紀には結城氏の一門であった多賀谷氏が進出し下妻を治めることとなりました。多賀谷氏が築いた下妻城(多賀谷城)は、旧大宝沼など湿地に囲まれた難攻不落の要といわれ、この城を本拠地として現在の本城町を中心に行田、吉沼、下栗まで領域を広げ、戦国大名として勢力を拡大しました。近世 安土桃山から江戸時代には、多賀谷氏が最も権勢を誇り、天正4年(1576年)に家督を継いだ重経の頃には関城町(現筑西市)、千代川村(現下妻市)石下町、水海道市(ともに現常総市)、つくば市の一部などを治めていました。しかし反徳川の姿勢を崩さず、慶長7年(1602年)に佐竹市の移に伴い秋田へ移り、多賀谷氏の下妻支配も終わりました。この江戸時代の下妻は、約100年間に渡り徳川幕府の領地として、幕府は下妻を水戸とともに北に備える要地と考え、慶長11年(1606年)に徳川家康の子・頼房を10万石で封じ、その後も松平忠昌、松平定綱と親藩・譜代の大名を配しました。一方、慶安期ごろまでには鬼怒川に宗道河岸が開設され、続いて鎌庭河岸、皆場河岸、小貝川にも河岸が出来て周辺地域と江戸を結ぶ舟運が発達します。生活基盤をささえる江連用水や吉田用水、八間堀が開設されたのも江戸時代のことで、正徳2年(1712年)井上正長が下妻に入ると、その後は井上氏が長くこの地を統治、14代藩主の井上正己の下で明治維新を迎えることとなりました。近現代として明治時代から平成時代までは、明治4年(1871年)の廃藩置県で下妻にはいくつもの県が置かれましたが、何度かの整理合併を経て、同8年に市域全てが茨城県となりました。この時期、町には警察署、郵便局、小中学校、裁判所、郡役所、銀行、税務署などが近代化と共に設置されています。明治22年(1889年)には町村制が施行され、旧下妻町と6村、旧千代川村に4村が成立しました。大正2年(1913年)には常総線が開通。この頃から電気、繊維、製粉、倉庫など様々な産業が栄えました。昭和に入ると土浦と古河を結ぶ国道125号線の整備や鬼怒川改修のため新川を掘削し、旧河川を水田化する工事などが行われ現在に至っています。散策の画像は市内に残る歴史的建造物のものです。繰り返しとなりますが、散策当日の画像を整理中に鋼板の画像を誤って消去しましたので、後日再訪問のうえ画像を追加、若干の解説を掲載いたします。

                       取材:JMRA日本民家再生協会正会員  ㈱アップル 大竹 喜世彦

茨城県/下妻市】       
 


目抜き通り旧道125号線、上の地図南側の125はバイパスの方

【旧ビンフォルド邸】



















西町三道方面、蔵を改修された「Bar Long Horn」























【上町の旧家】






 

 










上町~仲町へ・国道125号線(古河方面)、ここで折り返し上町へ戻る

国道125号線(つくば方面)
























 







 






上町商店街の北側、古くからあった地元の常陽銀行が他店舗となり撤退



砂沼方面へ







砂沼南端の「葵カフェ」





















砂沼にかかる三方向の橋「砂沼大橋」

















砂沼大橋から筑波山




                            取材:HICPM住宅生産性研究会正会員  ㈱アップル 大竹 喜世彦


    
弊社の古民家再生事例―

【築80年の古民家改修:飯能市下名
栗】
         
【Before】


 

 

 

 

 

     【Ater】屋根・外壁・窓の断熱改修
 

 

 

 

 

  
                                【Ater】キッチンの自然素材&断熱改修
                        
 

 

              

              

              

 

 

             

 

                          

                                 取材:JMRA日本民家再生協会正会員  ㈱アップル 大竹 清彦


       【エコロジーの先端、捨てない文化を取り戻す・ビンテージリフォーム】
建築基準法で規定されている現在の【在来工法】は柱や桁梁の接合部に金具補強して、面材や筋交いなどの耐力壁で地震等に抵抗します。これに対し古民家などの【伝統的工法】では、柱や桁梁の接合部は木組みのみで金具の補強はありません。代わりに【伝統的工法】では土塗り壁、竹小舞、差し鴨居、貫などが主要な耐力要素となります。【伝統工法】では土台を使わず1階の柱を直接礎石に立てる【石場建て仕様】が用いられることがあります。特に西日本以西では夏場の床下通気やシロアリ対策から【石場建て仕様】が採用された民家が少なくありません。 【限界耐力計算】という方法で確認申請の適合判定が通れば、こうした【伝統木造軸組み住宅】も新築できる。しかし、この申請・審査には大変な手間がかかり、その結果、現在新築の実績は年間数棟にすぎないのが実情です。 わたしたちは、この【伝統的工法】で使わてきた柱や梁といった構造材の再構築としてリユースする道筋をつけ、消えゆく貴重な資源をリモデリングというで使い継いでまいります。 古いという理由だけで何もせずただ壊して捨てたらゴミになるだけ。しかし、リモデリングで再使用したらあと何年再活用できるでしょうか。 ビンテージ・リフォームは【伝統的工法で使われてきた古材】を大切に、そのままの形で出来るだけ長く使い、捨てない文化を取り戻す究極のエコロジカルなコンセプト・リフォームです。

                           【古材を活用した弊社アップルのリモデリング例】

  ―栃木・旧藤岡町/F邸・230年前の土蔵解体(2011年) ⇒下野市/H邸・古材梁を再活用したマンション・リモデルへ(2012年)
 

―マンションのキッチン・リモデリング―
 16年のマンションの全面改修の一部

薄暗く、開放感のない元の対面型キッチンをリ・モデリング
キッチン台は造作中心のオリジナル
床暖房+LDKは明るく開放的なキッチンに家族が集うようになりました

【Before】
 

 

【施工中】

キッチン台を組み、古材も取付け、LD側のカウンターもインストールして周辺を造作
 
仕上げ:弊社インテリアコーディネーターが詳細を現場で指示
 

 
古材に合わせて周りの造作家具なども自然塗料リボス+京都山中油店の鉱物顔料で着色
 
左官:カウンター天板、袖壁
 

 
天板の左官:クリスタルインレイ使用、蜜蝋で撥水加工 
 
袖壁の左官:スイス漆喰、カルクウォール、エイジング加工
 

【After】






























  ―福島・田島町/I邸・古民家解体(2004年)⇒下野市/T邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2009年)

    

    

    

   

  

  

【古材を活用したリモデリング例】

   ―栃木・藤岡町/A邸・古民家解体(2007年) ⇒小山市/S邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2008年)
静かな農村地帯に昔懐かしい風情を残す「青木邸」は江戸時代には、この土地で栄えていた大規模な農家。現在、旧道沿いに立つこの家の母屋は約100年前のもの。昔は街道の両脇に茅葺屋根の家々が立ち並ぶ日本の原風景を残す土地でもあった。最近はテレビの番組でも多く登場するようになった古民家とはいえ、子供の頃には「暗くて寒くて怖い」場所と思い育ったそうです。お母さんとの2世帯住宅を建てる決意をされたものの、祖先が使い残してくれたこの母屋をただ解体することに寂しさを感じていらした青木さんご夫婦。「まだ、使えるものなら是非、再生に活用て使い続けて下さい」と。まさに「200年住宅」の真髄ではないでしょうか?昔から、捨てずに大切に使い続けてきた構造材。本来、日本では当たり前に行われてきた建築文化です。もちろん、何もせず、200年耐用できるものなど何処にもありません。定期的に修理修繕し、次代を越え愛着を持ちながらメンテナンスし熟成されてきたのです。大切に使い住み続ける社会の実現。これこそがわたしたちの目指す「200年住宅」の意味するところではないでしょうか?青木さん、わたしたちアップルで古材として立派にリモデリングで大切に活用させていただきます。
                          Before(青木邸
     

   
 当時の貫工法(在来工法の原型)や竹小舞の土壁。地場の欅と松の曲がり梁が素晴らしい。
  
                  After(再生リモデル完成しました

     
 
増改築前(外観)              (和室)                    (廊下)         改装中古材をクレーンで搬入
        
    
       改装中:青木さんの地松の古材梁を2本活用、ドイツ・リボス自然素材塗料で綺麗に蘇る。 
  改築後(廊下)杉の古材柱を廊下でも活用、手洗いをしつらえ、トイレも増設。内装はスイス本漆喰左官&ドイツ・ウッドチップクロス張り
 
    
  改築後(寝室)
   
  改築後(和室:1) 内装:ドイツ・ウッドチップクロス                (和室:2)内装:愛知・桃山土壁(弁柄壁)  
    

【その他、古材を活用したリモデリング例】 Before⇒After
                    
                   よくある普通の和室             「古材の柱」で作った「自在ガキ」をぶら下げ、囲炉裏風の設えに。
                                             「古材梁」を4本使っています。

古民家を見て、その素晴らしさに感動する人は多い。その佇まいはわたしたちの五感に訴えるものは非常に多いが、本当の素晴らしさと意味するところは、自然のシステムが無駄なく利用されている先人たちの知恵に気づく点です。民家に蓄積された仕掛け、例えば風を防ぐ工夫、逆に風を導く工夫、高湿から室内を守る工夫、暗さを補う天窓の工夫といった仕掛けは、わたしたちのスローライフな暮らし方を見直すことを教えてくれます。これは過去への回帰を意味するのでなく、未来の住宅のために、伝統技術を見直し、継承し、新しい知恵を加えるということにつながって行きます。 民家の様々な歴史、文化的な背景を知ることは、ものの真の価値を知ることも出来ます。 裏付けのある知識を持つことで「先人たちの知恵」のルーツを知ることが出来ます。 例えば、家族団らんの食事は囲炉裏を囲んで・・・と思われていますが実は、『囲炉裏』は養蚕のための暖房であり、生活に余裕はなく、封建的なスタイルで食事は各自お膳で取っていた・・・。 しかし、現在はそのような封建的な風習はありませんから、『囲炉裏』は家族で仲良くみんで囲めばいい。 このように、民家を知ることは、わたしたちの先人たちの、地域にあった住まい方を正しく知り、その知恵を活用し、さらに長い年月をかけ熟成させていくものではないでしょうか。
江戸時代から、木材を再利用するのは当り前の時代でした。これがいつしか捨てる文化に変わってしまった。究極のエコロジーは、そのままの形で出来るだけ長く使うこと。ビンテージリフォームは、そんな私達の考えが詰まったコンセプト・リフォームです!リフォームアップルで強力に推進中!
古材を多用するビンテージリフォームは、高い志と古来の伝統工法の豊富な見識を習得した古材施工技術士に是非一度ご相談下さい。
                             日本民家再生リサイクル協会正会員 ㈱アップル・リフォームアップル自治医大店 大竹喜世彦 
 

  


【茅葺屋根の古民家】
八郷町には60余棟の『茅葺の里』があります。毎年年末に、八郷町の地元の【茅葺屋根保存会】の方々と、とわたしたち【民家再生リサイクル協会】茅刈り隊】、筑波大学生らのボランティアを含むメンバー(200名近く)は【つくば学園都市】にある高分子研究センターでヨシ刈りを行なっています。八郷の茅葺屋根の葺替えに使うための【ヨシ刈り】です。
そして、毎年この4月初旬に、民家再生リサイクル協会では、八郷町、地元【茅葺屋根保存会】の方々と、茅葺古民家で交流会を行い、早春の一日を美しい里山と日本の原風景が残る茅葺集落で過ごしております。戦後のヨーロッパでも、日本と同じように茅葺屋根は激減しましたが、現在は高級住宅地などのステータスシンボルとして使われ人気が高いそうです。・・・
さて、日本の茅葺について。かつての日本の茅葺文化は農村生活と深く結びつき社会活動とのかかわりが欠かせませんでした。筑波一帯は、江戸城の鬼門を守る門前町として栄え、特に筑波山麓では江戸末期からは専門職として【茅葺職人】が成り立ち、地方ごとに特異な形の技術が発達しながら、地域社会と強い関わりを持ってきました。村人は【ユイ・結】を組織し、茅葺を手伝い、古くなった屋根の改修で出た【古茅】は大切にリサイクルしまた、重要な肥料として農地にも還元され、その【マテリアル】自体も自己完結型で地域循環していました。
古民家再生の環境的側面】
日本の産業廃棄物のうち約20%を建設廃棄物が占め、民生部門のエネルギーのうち約45%を住宅が占めると言われる。社会全体の環境負荷の低減を図るには、この住宅建築をいかに環境配慮型に変えていくかが重要な課題です。住宅建材のリサイクル率向上や生活エネルギー使用量減少はどうすれば可能なのか?わたしたちは伝統的な素材、工法に、関わる最先端の知識に触れ、エコロジカルな視点からも民家再生に注力しています。
毎年建っている戸建住宅は約数十万戸で、最新の技術、性能を持ちます。しかし、立て替えればで、産業廃棄物と大量のゴミを発生させます。そして、もうすでに建ってしまっている既存住宅1500万戸はどうすればいいのでしょうか?わたしたちはリモデル、リフォーム(欧米ではリフォームというと歯の矯正の意味も含まれ、一般的にはリモデリング、ホームインプルーブメントと言われています。)を通じて、ゴミ問題も含むエネルギーなどの環境負荷低減をはかってまいります。とりわけ大きな機械装置(製造エネルギーが多大で廃棄時にリサイクルできないものを主に言います)の導入でアクティブな「省エネ」を図る方法よりも、より自然エネルギーをそのままの形で活用するパッシブな「省エネ」デザイン、設計を心がけていこうと考えます。
『ふるさと』というところは、我慢や不自由の多いところですが、その中で人は一生懸命に美的な誇りを探し美しく幸福に生きようとしています。その力こそ今の時代に必要だと『八郷』は、私達に教えようとしています。『町守り』は『町興し』に名を借りた開発行為とは異質のものでしょう。
『町守り』とは文化をその地で、地道に頑なに守り続けること。そこでは、簡単には壊さず大切に長く使う知恵が凝縮されています。作っては壊す、日本の現状の見直しは急務でしょう。
                           
                             NPO日本民家再生リサイクル協会正会員(株)アップル 大竹喜世彦

 ===大切なものを壊さず、使い継ぎ再生させる。福島県会津から古材を入荷しました。===

                      【古材でリモデルしませんか?】 
ビンテージ・リフォームは、そのままの形を出来るだけ長く使い、捨てない文化を取り戻し、究極のエコロジカルの先端をいくコンセプト・リフォー


      
本格的に古民家をほどき、移築するのではなく、もっとライトな感覚で古材を生活の中で活用してみましょう。 たとえば、和室に『囲炉裏』 や庭に『茶室』・古民家風のわたしの 『アトリエ」』などはいかがでしょう。二階の『使わなくなった部屋』を古民家風に設えてもいいでしょう。厳格なエコロジストではなく、もっと気楽にライトに生活を楽しむチルチン人やロハスな人々。…そんなライフスタイルの方々が急増しています。
㈱アップルではそんなロハスな方々を応援中です。
    リフォームアップル自治医大店 大竹喜世彦

民家再生トップへ戻る