【日時】令和4年9月21日(水) |
令和4年8月、栃木県北部の那須塩原市、黒磯町にある「旧・青木外務大臣邸」「旧・乃木希典将軍邸」に引き続き、栃木県県北に残る名建築を訪ねました。まずは矢板市役所のすぐ近くに残る「旧・矢板武邸」。現在は記念館として残っています。矢板武(1849-1922年)は、明治期の政治、経済、学術において現在の栃木県矢板市(市の名称も矢板氏から由来する)から県北地域において多大な功績を残した地方名士といえます。江戸から東北に至る国道4号線、現在のJR宇都宮線(国鉄東北本線)の開通、地方銀行の設立、経営の陣頭指揮をとり、その手腕を発揮しました。また、政治経済以外では教育分野において、学校建設、整備に世界遺産の日光東照宮とその周辺の保存活動、現在の毎日新聞系である下野新聞社取締役会長も務めた人物です。さまざまな分野において偉業を成し遂げた矢板武は、とりわけ「那須野が原の開拓」の功績は最も有名。福島県の安積疏水、滋賀県の琵琶湖疏水と並ぶ日本三大疏水の一つ「那須疏水」を印南丈作とともに構築しています。現在も残る「旧・矢板武邸(記念館)」の主屋は、床面積96.7坪の堂々とした平屋建て。玄関から客間、寝室の多くが公開され、矢板武に関する資料や写真展示館となっています。矢板武は、山縣有朋、品川弥二郎、渋沢栄一、勝海舟など蒼々たる当時の元勲たちとの交流が深くその記録が残されています。
つづいて訪問したのは同じ矢板市にある「旧・山縣有朋別邸(記念館)」。山縣有朋(1838-1922年)は、長州藩出身の山縣有朋は、吉田松陰の松下村塾に学び、高杉晋作らと奇兵隊を率いた倒幕運動に活躍した幕末の軍人、そして政治家です。明治維新のあと、新政府より欧州視察の命を受け訪欧、帰国後は廃藩置県、徴兵制(国軍、軍隊制度)の制定、地方自治制度確立、近代官僚制度構築など新体制の形成に深く関与しました。第3代・第9代内閣総理大臣、参議、初代参謀本部長、初代内務大臣、枢密院議長などを歴任した偉人です。その後、元勲として元老筆頭となり政界に大きな影響力を与え、近代日本の基礎をつくった日本人の一人としてその中心的役割を果たしました。現在残る「旧山縣有朋邸別邸(記念館)」は元々、小田原に建てられた別荘を矢板市内に移築再生されたもの。現存する数少ない明治期の洋風木造建築の一つであり、平成2年に栃木県有形文化財(建築)に指定されました。平成の修復工事を終え、維持保存と山縣有朋の遺品、資料をあわせて公開する目的で、平成4年、私立歴史博物館「山縣有朋記念館」として開館され、平成25年に公益財団法人となっています。
最後に歴訪したのが「旧・松方別邸(萬歳閣)」。この通称、萬歳閣は、1903年(明治36年)に総理大臣を務めた松方正義の別邸です。那須塩原にある観光地として有名な千本松牧場内にあるこの建物は、床面積101坪の混構造2階建ての洋館で、1階が石造、2階が木造からなっています。1904年(明治37年)大正天皇が皇太子の時、別邸に駐泊の際、折から日露戦争で遼陽(りょうよう)が陥落した報が届き、一同万歳をしたことから「萬歳閣」と呼ばれるようになりました。別邸の前庭に、かつての堀が残るほか、周辺には多くのモミジが自生し、秋に赤く色づく紅葉に囲こまれた別邸は一段と映えます。現在、この松方別邸は関係者が利用しており、外部の柵の外から遠景のみ見学出き内部の視察はできません。
取材:JMRA日本民家再生協会正会員 ㈱アップル 大竹 喜世彦
【旧・矢板武邸/矢板市】
【旧・山縣有朋別邸/矢板市】
【旧・松方正義別邸/那須塩原市】
取材:HICPM住宅生産性研究会正会員 ㈱アップル 大竹 喜世彦
―弊社の古民家再生事例―
【築80年の古民家改修:飯能市下名栗】
【Before】
【Ater】屋根・外壁・窓の断熱改修
【Ater】キッチンの自然素材&断熱改修
取材:JMRA日本民家再生協会正会員 ㈱アップル 大竹 清彦
【エコロジーの先端、捨てない文化を取り戻す・ビンテージリフォーム】
建築基準法で規定されている現在の【在来工法】は柱や桁梁の接合部に金具補強して、面材や筋交いなどの耐力壁で地震等に抵抗します。これに対し古民家などの【伝統的工法】では、柱や桁梁の接合部は木組みのみで金具の補強はありません。代わりに【伝統的工法】では土塗り壁、竹小舞、差し鴨居、貫などが主要な耐力要素となります。【伝統工法】では土台を使わず1階の柱を直接礎石に立てる【石場建て仕様】が用いられることがあります。特に西日本以西では夏場の床下通気やシロアリ対策から【石場建て仕様】が採用された民家が少なくありません。 【限界耐力計算】という方法で確認申請の適合判定が通れば、こうした【伝統木造軸組み住宅】も新築できる。しかし、この申請・審査には大変な手間がかかり、その結果、現在新築の実績は年間数棟にすぎないのが実情です。 わたしたちは、この【伝統的工法】で使わてきた柱や梁といった構造材の再構築としてリユースする道筋をつけ、消えゆく貴重な資源をリモデリングというで使い継いでまいります。 古いという理由だけで何もせずただ壊して捨てたらゴミになるだけ。しかし、リモデリングで再使用したらあと何年再活用できるでしょうか。 ビンテージ・リフォームは【伝統的工法で使われてきた古材】を大切に、そのままの形で出来るだけ長く使い、捨てない文化を取り戻す究極のエコロジカルなコンセプト・リフォームです。
【古材を活用した弊社アップルのリモデリング例】
―栃木・旧藤岡町/F邸・230年前の土蔵解体(2011年) ⇒下野市/H邸・古材梁を再活用したマンション・リモデルへ(2012年)―
―マンションのキッチン・リモデリング― 16年のマンションの全面改修の一部 薄暗く、開放感のない元の対面型キッチンをリ・モデリング キッチン台は造作中心のオリジナル 床暖房+LDKは明るく開放的なキッチンに家族が集うようになりました |
【Before】 【施工中】 キッチン台を組み、古材も取付け、LD側のカウンターもインストールして周辺を造作 仕上げ:弊社インテリアコーディネーターが詳細を現場で指示 古材に合わせて周りの造作家具なども自然塗料リボス+京都山中油店の鉱物顔料で着色 左官:カウンター天板、袖壁 天板の左官:クリスタルインレイ使用、蜜蝋で撥水加工 袖壁の左官:スイス漆喰、カルクウォール、エイジング加工 【After】 |
―福島・田島町/I邸・古民家解体(2004年)⇒下野市/T邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2009年)―
【古材を活用したリモデリング例】
―栃木・藤岡町/A邸・古民家解体(2007年) ⇒小山市/S邸・古材梁を再活用したリモデルへ(2008年)―
静かな農村地帯に昔懐かしい風情を残す「青木邸」は江戸時代には、この土地で栄えていた大規模な農家。現在、旧道沿いに立つこの家の母屋は約100年前のもの。昔は街道の両脇に茅葺屋根の家々が立ち並ぶ日本の原風景を残す土地でもあった。最近はテレビの番組でも多く登場するようになった古民家とはいえ、子供の頃には「暗くて寒くて怖い」場所と思い育ったそうです。お母さんとの2世帯住宅を建てる決意をされたものの、祖先が使い残してくれたこの母屋をただ解体することに寂しさを感じていらした青木さんご夫婦。「まだ、使えるものなら是非、再生に活用て使い続けて下さい」と。まさに「200年住宅」の真髄ではないでしょうか?昔から、捨てずに大切に使い続けてきた構造材。本来、日本では当たり前に行われてきた建築文化です。もちろん、何もせず、200年耐用できるものなど何処にもありません。定期的に修理修繕し、次代を越え愛着を持ちながらメンテナンスし熟成されてきたのです。大切に使い住み続ける社会の実現。これこそがわたしたちの目指す「200年住宅」の意味するところではないでしょうか?青木さん、わたしたちアップルで古材として立派にリモデリングで大切に活用させていただきます。
Before(青木邸)
当時の貫工法(在来工法の原型)や竹小舞の土壁。地場の欅と松の曲がり梁が素晴らしい。
After(再生リモデル完成しました)
増改築前(外観) (和室) (廊下) 改装中:古材をクレーンで搬入
改装中:青木さんの地松の古材梁を2本活用、ドイツ・リボス自然素材塗料で綺麗に蘇る。
改築後(廊下)杉の古材柱を廊下でも活用、手洗いをしつらえ、トイレも増設。内装はスイス本漆喰左官&ドイツ・ウッドチップクロス張り
改築後(寝室)
改築後(和室:1) 内装:ドイツ・ウッドチップクロス (和室:2)内装:愛知・桃山土壁(弁柄壁)
【その他、古材を活用したリモデリング例】 Before⇒After
よくある普通の和室 「古材の柱」で作った「自在ガキ」をぶら下げ、囲炉裏風の設えに。
「古材梁」を4本使っています。
古民家を見て、その素晴らしさに感動する人は多い。その佇まいはわたしたちの五感に訴えるものは非常に多いが、本当の素晴らしさと意味するところは、自然のシステムが無駄なく利用されている先人たちの知恵に気づく点です。民家に蓄積された仕掛け、例えば風を防ぐ工夫、逆に風を導く工夫、高湿から室内を守る工夫、暗さを補う天窓の工夫といった仕掛けは、わたしたちのスローライフな暮らし方を見直すことを教えてくれます。これは過去への回帰を意味するのでなく、未来の住宅のために、伝統技術を見直し、継承し、新しい知恵を加えるということにつながって行きます。 民家の様々な歴史、文化的な背景を知ることは、ものの真の価値を知ることも出来ます。 裏付けのある知識を持つことで「先人たちの知恵」のルーツを知ることが出来ます。 例えば、家族団らんの食事は囲炉裏を囲んで・・・と思われていますが実は、『囲炉裏』は養蚕のための暖房であり、生活に余裕はなく、封建的なスタイルで食事は各自お膳で取っていた・・・。 しかし、現在はそのような封建的な風習はありませんから、『囲炉裏』は家族で仲良くみんで囲めばいい。 このように、民家を知ることは、わたしたちの先人たちの、地域にあった住まい方を正しく知り、その知恵を活用し、さらに長い年月をかけ熟成させていくものではないでしょうか。
江戸時代から、木材を再利用するのは当り前の時代でした。これがいつしか捨てる文化に変わってしまった。究極のエコロジーは、そのままの形で出来るだけ長く使うこと。ビンテージリフォームは、そんな私達の考えが詰まったコンセプト・リフォームです!リフォームアップルで強力に推進中!
古材を多用するビンテージリフォームは、高い志と古来の伝統工法の豊富な見識を習得した古材施工技術士に是非一度ご相談下さい。
日本民家再生リサイクル協会正会員 ㈱アップル・リフォームアップル自治医大店 大竹喜世彦
【茅葺屋根の古民家】
八郷町には60余棟の『茅葺の里』があります。毎年年末に、八郷町の地元の【茅葺屋根保存会】の方々と、とわたしたち【民家再生リサイクル協会】茅刈り隊】、筑波大学生らのボランティアを含むメンバー(200名近く)は【つくば学園都市】にある高分子研究センターでヨシ刈りを行なっています。八郷の茅葺屋根の葺替えに使うための【ヨシ刈り】です。
そして、毎年この4月初旬に、民家再生リサイクル協会では、八郷町、地元【茅葺屋根保存会】の方々と、茅葺古民家で交流会を行い、早春の一日を美しい里山と日本の原風景が残る茅葺集落で過ごしております。戦後のヨーロッパでも、日本と同じように茅葺屋根は激減しましたが、現在は高級住宅地などのステータスシンボルとして使われ人気が高いそうです。・・・
さて、日本の茅葺について。かつての日本の茅葺文化は農村生活と深く結びつき社会活動とのかかわりが欠かせませんでした。筑波一帯は、江戸城の鬼門を守る門前町として栄え、特に筑波山麓では江戸末期からは専門職として【茅葺職人】が成り立ち、地方ごとに特異な形の技術が発達しながら、地域社会と強い関わりを持ってきました。村人は【ユイ・結】を組織し、茅葺を手伝い、古くなった屋根の改修で出た【古茅】は大切にリサイクルしまた、重要な肥料として農地にも還元され、その【マテリアル】自体も自己完結型で地域循環していました。
【古民家再生の環境的側面】
日本の産業廃棄物のうち約20%を建設廃棄物が占め、民生部門のエネルギーのうち約45%を住宅が占めると言われる。社会全体の環境負荷の低減を図るには、この住宅建築をいかに環境配慮型に変えていくかが重要な課題です。住宅建材のリサイクル率向上や生活エネルギー使用量減少はどうすれば可能なのか?わたしたちは伝統的な素材、工法に、関わる最先端の知識に触れ、エコロジカルな視点からも民家再生に注力しています。
毎年建っている戸建住宅は約数十万戸で、最新の技術、性能を持ちます。しかし、立て替えればで、産業廃棄物と大量のゴミを発生させます。そして、もうすでに建ってしまっている既存住宅1500万戸はどうすればいいのでしょうか?わたしたちはリモデル、リフォーム(欧米ではリフォームというと歯の矯正の意味も含まれ、一般的にはリモデリング、ホームインプルーブメントと言われています。)を通じて、ゴミ問題も含むエネルギーなどの環境負荷低減をはかってまいります。とりわけ大きな機械装置(製造エネルギーが多大で廃棄時にリサイクルできないものを主に言います)の導入でアクティブな「省エネ」を図る方法よりも、より自然エネルギーをそのままの形で活用するパッシブな「省エネ」デザイン、設計を心がけていこうと考えます。
『ふるさと』というところは、我慢や不自由の多いところですが、その中で人は一生懸命に美的な誇りを探し美しく幸福に生きようとしています。その力こそ今の時代に必要だと『八郷』は、私達に教えようとしています。『町守り』は『町興し』に名を借りた開発行為とは異質のものでしょう。
『町守り』とは文化をその地で、地道に頑なに守り続けること。そこでは、簡単には壊さず大切に長く使う知恵が凝縮されています。作っては壊す、日本の現状の見直しは急務でしょう。
NPO日本民家再生リサイクル協会正会員(株)アップル 大竹喜世彦
===大切なものを壊さず、使い継ぎ再生させる。福島県会津から古材を入荷しました。=== |
民家再生トップへ戻る |