岡山県/倉敷・高梁・岡山

【日時】平成19年11月19日(月)〜20日(火)

         ―岡山〜倉敷〜高梁/江戸〜大正時代の備中国地方の歴史を散策
                          

                       幕府直轄「天領」として栄えた倉敷、その中心である美観地区
倉敷は、江戸時代初期の寛永19年1642年、江戸幕府の天領に定められた際に、倉敷代官所が現在の美観地区に設けられ、以来、備中の政治経済の中心地として発展した歴史を持ちます。1979年に県内2件目となる重要伝統的建造物保存地区に選定され、白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並ぶ倉敷川の畔から鶴形山南側の街道一帯で、天領時代の町並みをよく残しています。大原美術館や代官所跡地に建つ旧倉敷紡績(クラボウ)の赤レンガ倉庫を保存したホテル棟を含む商業施設、倉敷アイビースクエアなどの名建築が点在します。倉敷は江戸時代の天領で産物を集め瀬戸内海までの水路として発達しました。栃木の「蔵の街とちぎ」もウズマ川が江戸との農産物の交流で発展したのと似ています。倉敷川は昔海とつながり汐入川と呼ばれていた。川のところどころに船着場があり「クラボウ」専用のものは元工場の正面入口から延びている。この美観地区の建物は油屋など倉敷川沿いの物資水路で発達した商家が多く、江戸〜大正の建物が現存し倉敷川沿いの物資水路で発達したので第二次世界大戦で焼失を逃れた建物が多く残ります。                          取材:JMRA「日本民家再生リサイクル協会正会員 潟Aップル 大竹清彦 
                        栃木県の「蔵の街・とちぎ」の過去の取材記事
                                            
 昼の美観地区

   
 漆喰壁に「なまこ」はこの地方の左官技術である。大原家別邸の弁柄壁の橙色が新鮮。大阪堺で焼成の瓦は昭和3年当時のまま。
   
 美観地区のシンボル、「倉敷館」観光案内所と「中橋」
 明治10年の出来た「中橋」は、1枚の岩(10トン近いそう)で小豆島から運ばれたそうだ。
 少し上流にある「今橋」は大正15年に昭和天皇が皇太子時代に倉敷に来た時に急遽造られたものだ。

 夜の美観地区
   
 おすすめは早朝か夜間の散歩がいい。土産店が開かない時間は比較的人は少ない。夜は美観地区全体が美しくライトアップされている。
   
 小道も非常に整備されて白壁がきりりと街を引き締める。「つるがや」は江戸時代から続く230年の歴史。
   
 黒漆喰の家。
     
 あまりにも有名で修学旅行などで訪れた人も多いと思う、美観地区のクラボウ旧倉敷紡績の工場跡地「アイビースクエア」大原美術館
    
 倉敷紡績の創始者、小原氏所蔵の美術工芸品を一堂に集める大原美術館。財界人であり文化人でもあった。
  
 土産で有名なものは、広栄堂の「きびだんご」、ままかり亭の「ままかり」、キッコウ堂の「むらすずめ」。

                                      ―旧大橋家住宅―
倉敷美観地区から少し離れたところに「旧大橋家住宅」はあります。豊臣時代に従事した武士で滅亡後、京都五条大橋辺りに隠れ「大橋」を名乗った大橋家は江戸後期の倉敷において塩田・新田開発によって財をなした大地主でした。倉敷紡績の大原家と共に「新禄」と呼ばれる新興勢力を形成していました。住宅の屋敷構えは大原家とは大きく違っており、旧往来に面して長屋門を有し主屋が通りに直接面することなく、前庭を隔て門の奥側に配置されている点に特色があります。建物の特徴は、旧大原家住宅同様、主屋は本瓦葺、厨子二階建て。1階に倉敷格子、2階が倉敷窓で米蔵・内蔵は土蔵造りで『なまこ壁』が非常に美しい姿です。約200年前の建物は、当時の新禄層の倉敷町屋の典型を示し、主屋や長屋門・米蔵・内蔵の4棟は昭和53年に国重要文化財の指定を受けています。平成3年〜3年の保存修理工事が行われ往時の輝きを取り戻しました。ぜんぜん話はそれますが、倉敷はデニムの縫製技術は国内最高といわれ地場産業として残っています。この大橋家住宅のすぐ近くに「倉敷ジーンズ」があります。

   
 
通常の町家では許されない「長屋門」。母屋が通りより引っ込んでいる。倉敷代官の許可を得た格式の高さが偲ばれる。
 
仏間を設えた座敷
 
土間の奥に「おくどさん」とダイドコが見える。
 
                        
                         中西部・高梁市/成羽町の吹屋と弁柄のまち
倉敷から高梁川に沿って国道180号を北上すること約50分。車は高梁(たかはし)市街への入口にさしかかります。そこを西に折れて、やがて離合もままならない細い山間の道をのろのろと約40分進むと、ベンガラ色の赤い町並みで知られる『吹屋ふるさと村』に到着します。吹屋(ふきや)は、標高550mの山間に位置する集落で、江戸時代中期より吹屋銅山の町として発展し、幕末頃から明治時代にかけては、銅をとるときの副産物である赤色顔料ベンガラ(酸化第二
鉄)の日本唯一の製造地として繁栄を極めました。メイン道路の両側に立ち並ぶベンガラ格子と石州瓦の赤褐色の重厚な家並みが、昔日の繁栄の大きさを物語っていました。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
   
岡山県の中西部高梁市成羽町に吹屋という町があります。かつて弁柄の産出で栄華を極めた町ですが、いまでは古い佇まいが残るのみになっています。町並みは弁柄で赤く染まり、他にはない独特の雰囲気を醸しだしています。町並みから少し離れたところには、実際に弁柄を掘り出していた龍源寺間部や、弁柄で大きな財を成しえた豪商の邸宅(広兼邸、西江邸)などが綺麗に保存されています。ちなみに、広兼邸は、映画八つ墓村のロケに使用されたそうです。また近くには美味しい備中蕎麦のお店もあります。
   
吹屋の町並み 
吹屋ふるさと村のメインストリートにあたる道沿いに、ベンガラ格子に赤銅色の石州瓦が印象的な堂々とした商家が軒を連ねています。江戸時代から明治にかけて中国筋第一の鉱山町に加えて江戸時代末期からベンガラという特産品の生産が重なり、当時の鉱業地として大いに繁昌した面影です。幕末から明治にかけて、吹屋はむしろ「弁柄の町」として全国に知られていました。しかも吹屋街道を拠点として、銅や中国山地で生産される砂鉄、薪炭、雑穀を集散する問屋も多く、備中北部から荷駄の行列が吹屋に続き旅籠や飲食店の建ち並ぶ山間の市場として吹屋の繁昌を保っていました。これらの銅や鉄、弁柄は吹屋から更に馬に負わされて成羽に運ばれ、それから高瀬船で玉島港に集められ、上方や西国へ輸送されたのです。江戸時代から成羽や玉島の繁昌は、吹屋の鉱業に負うところが大きかったと言われています。 
  

                             ―岡山城/岡山市―

岡山市内の「岡山城」は、本格的な城造りのスタートと言われる織田信長の築いた安土城に習い造られた日本を代表する城郭建築で旭川と後楽園を背景とした自然の中に建っています。天正18年1590年、旭川の流れを付け替え、掘削した土砂の盛り土で上中下3段の地形を造成し築城にかかりました。外壁の下見板に黒漆が塗られ別名「烏城」とも呼ばれました。2代宇喜多秀家の1597年〜15代池田章政の明治2年1869年までの長きに続き、以後、国の所有となりました。
   
 
烏城と呼ばれる「岡山城」。天守閣から「旭川」「後楽園」が見える。お姫様や殿様に扮しての記念撮影が無料で出来る。
 
                        ―栃木・足利市で現在、民家再生中―

静かな農村地帯に昔懐かしい風情を残す村「岩木邸」は江戸時代には、この土地で栄えていた名主。現在、県道沿いに立つこの家の母屋は約120年前のもの。昔は街道の両脇に茅葺屋根の家々が立ち並ぶ日本の原風景を残す土地でもあった。最近はテレビの番組でも多く登場するようになった古民家とはいえ、子供の頃には「暗くて寒くて怖い」場所と思い育ったそうです。しかし年を重ねるうちに、いつしか何ともいえない愛着が沸き起こり始めたと言う岩木さん。今年から再生を少しづつ始められました。「あと100年使い続ける」と。これは、まさに「200年住宅」の真髄ではないでしょうか?新築したら何もしないで200年耐用するというものではなく、定期的に愛着を持ち、次代を越えメンテナンスしながら大切に使い住み続ける社会の実現が200年住宅の意味するところではないでしょうか?
                     Before⇒After 部屋
         
         屋敷の外観は黒漆喰塗り

                      Before⇒After 台所
                                    
                                Before⇒After  部屋〜居間   
                   居間に新しい柱を入れ建具で仕切る。天井は弁柄、自然塗料、床は福島桐を使用。
          
 
古民家では、歴史文化的な背景を知ることで、ものの真の価値を知ることが出来ます。裏付けある知識を持つことで「先人たちの知恵」のルーツを知ることが出来ます。それらを正しく知ることで、またその知恵をより活用するという長い年月をかけ熟成されてきたし、先人達の知恵を尊び、スローフード、スローライフの精神が芽生えてきたのだと思います。
 「エコの先端をいく文化を取り戻す」ビンテージリフォーム
江戸時代から、木材を再利用するのは当り前の時代でした。これがいつしか捨てる文化に変わってしまった。究極のエコロジーは、そのままの形で出来るだけ長く使うこと。ビンテージリフォームは、そんな私達の考えが詰まったコンセプト・リフォームです!リフォームアップルで強力に推進中!
古材を多用するビンテージリフォームは、高い志と古来の伝統工法の豊富な見識を習得した古材施工技術士に是非一度ご相談下さい。

===大切なものを壊さない。使い継ぎ再生させる。===福島県会津から古材を入荷しました。===

古材でリモデルしませんか? 
そのままの形を出来るだけ長く使うビンテージ・リフォームは捨てない文化を取り戻し、究極のエコロジカルの先端をいくコンセプト・リフォーム!

          

本格的に古民家をほどき、移築しなくても、もっとライトな感覚で古材を生活の中で活用してみましょう。 たとえば、庭に  「いろりの部屋」 や「茶室」・古民家風の 「アトリエ」 などはいかがでしょう。二階の 「使わなくなった部屋」を古民家風にアレンジしてもいいでしょう。厳格なエコロジストではなく、気楽にライトに生活を楽しみたいチルチン人やLOHASな生活。 …そんな人々が急増しています。         リフォームアップル自治医大店 大竹清彦

民家再生トップへ戻る